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みことばの響き

決して渇かない 四旬節第3主日(ヨハネ4・5~42)

 北アルプスの登山を終えて新穂高温泉に到着した時のこと。そこには無料の温泉浴場があり、おいしい湧水が流れていました。飲んでみると格別な味。北アルプスに限らず日本の場合、おいしい水を無料で飲める場所がかなりあります。

 さて今日の福音の舞台はサマリア。日本と違い、水がタダというわけにはいきません。毎日、井戸まで汲みにいくのは大切な日課です。ここでイエスとサマリアの女の話が登場します。サマリア人はユダヤ人とは敵対心があり、お互いに決して口をきくようなことがありませんでした。お互いに、民族間の争いがあり、恨みなどが重なっていました。さらにサマリア人はユダヤ人から軽蔑されていました。そんな背景において、イエスがサマリア人に声をかけるのは不思議なくらいです。

 サマリアの女にとって、水はどんな意味を持っていたのでしょうか。井戸は深く、ヤコブも使ったことのある由緒あるものでした。キリストは言います「この水を飲む者はだれでもまた渇く。しかし、私が与える水を飲む者は決して渇かない」。サマリアの女にはこのことばがどのように響いたのでしょうか。何度も水を汲みに来ている女にとって「渇くことがない」ので、とても便利な水に思えたことでしょう。サマリアの女が「主よ、渇くことがないように、またここに汲みにこなくてもいいようにその水をください」と言うのも分かります。サマリアの女にとってイエスは「便利屋」のような存在だったかもしれません。話していくうちに、彼女はイエスがメシアであること、本当の姿が分かっていきます。サマリア人たちはイエスに留まるように依頼し、二日間イエスは滞在します。それによってさらに多くの人がイエスの言葉を信じ、広がっていきました。

 キリストとの日々の出会いは、私たちをどのように深い信仰へと導いているでしょうか。

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