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ご存知ですか? 7月11日は聖ベネディクト修道院長の記念日です

 聖ベネディクトは、修道生活の会則を記し、西方キリスト教世界における修道生活に決定的な影響を与えたことから、西方修道生活の祖と呼ばれています。教会は、この偉大な聖人を7月11日に記念します。

 ベネディクトの生涯については、後にグレゴリオ1世教皇がその著作『対話』の中で記しており、わたしたちの知識はほぼすべてこの記述によっています。ベネディクトは、おそらく480年頃、中部イタリアのヌルシアに生まれました。ローマで教育を受けた後、隠遁生活を志すようになり、ふさわしい地を求めてローマ郊外のスビアコにたどり着きます。厳しい隠遁生活を続けるうちに彼の聖性は徐々に周囲に知られるようになり、ある修道院の院長となるよう要請されて、その務めを受け入れます。ところが、修道生活の形態についての意見の確執から、ベネディクトはこの修道院を去ることになります。それでも彼はスビアコにとどまり、もはや隠遁生活に戻るのではなく、志を共有する人たちとともに修道生活を続けていきます。やがてローマとナポリの中間にあるモンテ・カッシーノに移り、そこに修道院を建てて、ふさわしい修道生活の形態を模索していくことになります。こうしてベネディクトは、560年頃(あるいは547年)亡くなるまで、モンテ・カッシーノで修道生活に専念するとともに、多くの修道士たちを聖性へと導くことになるのです。

 ベネディクトの時代、東方のキリスト教会では、聖バジリオの記した会則がすでに修道生活の会則として普及していました。しかし、西方のキリスト教会では、まだ広く受け入れられた修道生活の会則はありませんでした。そこで、ベネディクトは、520〜530年頃に書かれたとされる『Regula Magistri(ある師の会則)』を参考にしながら、独自の『会則』を記しました。ベネディクトの修道生活は、世から完全に離れ、全面的に神に捧げられたものですが、しかしそれは兄弟的交わりと労働を特徴とするものでもありました。修道院は単に院長のもとに置かれた厳しい修徳の場なのではなく、兄弟愛の実践の場と理解されました。また、「祈り、かつ働け」という有名な言葉に表れているように、神への祈りが第一のものであるとはいえ、一日のすべてをこれに注ぐのではなく、手仕事・肉体労働や知的労働である勉学も大切な要素として一日の一定時間がこのために費やされました。一日の時間を祈りと労働などに振り分け、一日の生活に規則性を与えたのもベネディクトの修道生活の特徴でした。それは厳しい生活であると同時に、人間が持つさまざまな側面にも配慮した非常に現実的な修道生活の形態でした。このような修道生活の形態とそれを定めたベネディクトの会則は、西方の教会で広く普及していきました。

 さて、聖ベネディクト修道院長の記念日に固有の福音朗読としてとられているのは、マタイ19・27─29です。これは、ある金持ちの青年とイエスとのやりとりに続く箇所です。青年がイエスに「永遠の命を得るには、どんな善いことをすればよいのでしょうか」と質問します(19・16)。その後、一連の問答の後、イエスは青年に「行って持ち物を売り払い、貧しい人々に施しなさい。そうすれば、天に富を積むことになる。それから、わたしに従いなさい」と言われます(19・21)。すると、青年は悲しみながら立ち去ります。福音書はその理由を「たくさんの財産を持っていたからである」と記します(19・22)。その後、イエスは弟子たちに金持ちが天の国に入ることは難しいことを教えます(19・23─24)。この世における裕福さは神の祝福を示すものと考えられていたので、弟子たちは非常に驚き、「それでは、だれが救われるのだろうか」と言います(19・25)。これに対して、イエスは「それは人間にできることではないが、神は何でもできる」と言われ(19・26)、救いが神のはたらきによるものであることを説かれるのです。

 これに続く箇所が19・27─29です。イエスの教えを受けて、ペトロがイエスに「このとおり、わたしたちは何もかも捨ててあなたに従って参りました」と言い、「(このような)わたしたちは何をいただけるのでしょうか」と尋ねます(27節)。ペトロは、イエスが金持ちの青年に言われた「行って持ち物を売り払い、貧しい人々に施しなさい。……それから、わたしに従いなさい」との言葉、金持ちが従うことができなかったあの言葉を、自分たちはすでに行なっていると宣言しているのです。その後の「わたしたちは何をいただけるのでしょうか」というペトロの言葉は質問の形をとってはいますが、純粋な問いというよりは、むしろ「だとすれば、このようなわたしたちは当然、神の国に入れるのでしょう」といったニュアンスが込められた言葉として理解できるでしょう。

 しかし、イエスはこのペトロの態度自体をここで問題にはせず、イエスに従う弟子たちの報いについて述べられます。それは、すばらしい報いです。まず、新しくされた世界で、イエスが栄光の座に着くとき、イエスに従ってきた弟子たちもその栄光の座にあずかります(28節)。終わりのときに行使されるイエスの「裁き」の権能に、弟子たちもあずかるのです。

注:新共同訳は、「裁く」という語が「治める」、「支配する」という意味にも用いられることから、「イスラエルの十二部族を治めることになる」と訳していますが、原文は「イスラエルの十二部族を裁くことになる」です。マタイ25・31─46でも、人の子が「栄光の座に着き」、すべての国の民を永遠の命と永遠の罰へと分ける様子が描かれ、「栄光の座」と「裁き」が関連づけられているので、ここでも単純に「裁く」と訳したほうがよいと思われます。いずれにせよ、すべてが新たに生み出される世界にあって、栄光に輝くイエスの権能に弟子たちがあずかることが述べられています。

 弟子たちの報いは、また別の表現でも示されます。捨てたものの百倍の報いを受け、永遠の命を受け継ぐということです(29節)。「百倍」とは、「比べることのできないくらい多くの」という意味です。ここでは、ペトロが「何もかも捨てて」(27節)と表現していたものが、具体的に例を挙げながら述べられています。「家、兄弟、姉妹、父、母、子供、畑」です。家族や家族と育んできた関わり、住む場所、財産(特に「畑」という表現で、仕事場、糧を得るための手段、仕事で得られるものなどに目が向けられています)。イエスが金持ちの青年に命じたことは、「持ち物を売り払い……なさい」でした(21節)。売り払うべき「持ち物」、捨てるべき「持ち物」とは単に物的財産のことだけではなく、大切な人、その人との関わり、仕事などを含めた「すべて」なのです。そして、この捨てたものの百倍の報いを受けると言われるのです。

 しかし、報いはそれだけではありません。永遠の命をも受け継ぐのです。「受け継ぐ」とは、定められた財産を相続するということです。神の命を、まるで当然の相続権を持った者のように受けることができるのです。こうして、金持ちの青年の最初の問い、「永遠の命を得るには……」(16節)に再び結びつけられるのです。

 ところで、マルコ福音書とルカ福音書は、並行箇所で(マルコ10・30、ルカ18・30)、百倍の報い(ルカでは「何倍もの報い」)をこの世で与えられる報い、永遠の命を後の世で与えられる報いとしています。マタイ福音書は、この区別をしていません。文脈上は明らかに「新しい世界」での報いですから、マタイ福音書の場合、どちらも後の世で与えられる報いということになります。

 教会は、このようなすばらしい報いが後の世で約束されている者の模範、すべてを捨ててイエスに従う弟子の模範を、聖ベネディクトの中に見ているのです。注意しなければならないのは、福音書の中の「すべてを捨ててイエスに従う生き方」とは、修道生活のことではなく、すべての人にとっての救いの条件であるということです。だれもが、自分の置かれた場の中で、すべてに超えてイエスに従うよう招かれています。ベネディクトは、その修道生活と会則をとおして、すべての人に求められているこのような生き方を徹底して生きたのです。

 「すべてを捨てる」ことは、英雄的で、すばらしい行為です。しかし、福音書では、それが「イエスに従うこと」に結びつけられたときにのみ、価値を持つものとなります(マタイ19・21、27、28、また29節の「わたしの名のために……を捨てた者は」)。世俗のことがらが忌むべきもの、罪にまみれているものだから、それを捨てるのではありません。それは神からの恵みであり、貴いものです。それにもかかわらず、イエスに従うためにすべてを放棄するのです。ここにキリスト者が招かれている生き方があります。ここにベネディクトが追求した生き方があります。

 もちろん、それは決して簡単な生き方ではありません。金持ちの青年は、多くの財産を持っていたがために、この生き方を受け入れることができませんでした。弟子たちも「わたしたちは何もかも捨ててあなたに従って参りました」(27節)と誇らし気に言いながら、この後、十字架への道を歩むイエスに従うことができませんでした。この生き方は痛みをともなうのです。だからこそ、イエスの約束される大きな報いをしっかりと感じとっていなければ、そして何よりも、人間にできないことであっても何でもおできになる神に信頼するのでなければ、この生き方を実践することはできないのです。

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