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ご存知ですか? 1月13日は聖ヒラリオ司教教会博士の記念日です

 聖ヒラリオ司教教会博士の記念日は、彼が亡くなった日と考えられている1月13日です。聖ヒラリオの生涯については、あまり詳しいことは伝わっていません。ヒラリオは、4世紀の初めごろに生まれ、350年ごろにポワティエの司教になりました。彼の司教職は、アリウス派との戦いに彩られたものでした。アリウス派にとって、イエス・キリストは神とわたしたち人類との間にあって両者を結びつける仲介者でしたが、その考えを突き詰めていくと、キリストはどんなにすばらしい存在であっても、神ではなく、被造物にすぎないものとなってしまいます。ヒラリオは、このような考え方の危険性を見抜き、アリウス派を異端として斥けました。

 しかしながら、当時の政治情勢はヒラリオに味方しませんでした。当時のローマ皇帝コンスタンツィウス2世はアリウス派を支持したため、アリウス派が優勢となり、356年にベズィエで開かれた教会会議でヒラリオは司教職から罷免され、フリギア地方に流されてしまったのです。しかし、ヒラリオは東方へ流されたことにより、東方で議論されていた三位一体の神秘に関するより深い視点を身につけることができました。東方では、キリストを被造物としてしまうアリウス派だけではなく、ペルソナとしての違いを認めず神を単一のものとしてしまう逆の極論も重大な問題を引き起こしていたのです。こうして、ヒラリオは単にアリウス派に反対するだけでなく、御父とキリストとのペルソナとしての違いも認め、神性という共通の実体のうちにそれぞれのペルソナが存在するという三位一体の神の神秘を深めていきました。

 その間にも、西方ではアリウス派の勢力がさらに強まり、ついにリミニの教会会議はアリウス派の主張に基づく信条を全会一致で認めてしまいました。しかし、その後しばらくして、ヒラリオは故郷のガリア(現在のフランス)に戻ることができました。なぜ、ヒラリオが監禁状態から解かれたのかは明らかでありませんが、ヒラリオを取り巻く政治状況は一変していました。ローマ皇帝にユリアヌスが即位し、アリウス派の問題に対して中立的立場を取ったのです。アリウス派は実数としては劣っていたこともあり、彼らが皇帝の後ろ盾を失ってからは、反アリウス派が急速に勢力を回復していきました。このような状況でガリアに戻ったヒラリオは、歓喜の中で迎え入れられてポワティエの司教に戻り、さらにはパリの教会会議で中心的役割を果たしました。彼は、三位一体の神の深い神秘を示しただけでなく、以前にリミニの教会会議でアリウス派の信条を宣言した人々に対しても、これを破棄してニケア信条を宣言することを条件に、彼らを受け入れたのです。ヒラリオのとった姿勢は各地でもとり入れられていきました。ヒラリオはその数年後、おそらく367年に亡くなりました。

 聖ヒラリオ司教教会博士を荘厳に祝うミサの福音は、マタイ福音書5・13-19が朗読されます。マタイ5~8章に記されたいわゆる「山上の説教」の冒頭に近い部分です。山上の説教の冒頭では真福八端が述べられます。その後に続くのがこの13-19節です。

 まず、聴衆が「地の塩」(13節)、「世の光」(14-16節)になぞらえられます。次に、イエスがこの世に来られた目的について語られます。「あなた方は、わたしが律法や預言者たちを廃止するために来たと思ってはならない。廃止するためではなく、成就するために来たのだ」(17節)。そして、この律法にどのように向き合う人が天の国で偉大な者なのかが教えられるのです。「掟を行い、それを教える者は、天の国で偉大な者と呼ばれる」(19節)。イエスの教えを聞いてこれをおきてとして受け入れ、実践し、さらにはそれを人々にも教えていくことが求められています。

 17節で用いられている「律法と預言者たち」という表現は、当時のユダヤ人の言い方で、聖書全体を指しています。ヘブライ語では、権威の重い順に、「律法」(=モーセ五書)、「預言者たち」(=ヨシュア記から列王記までと預言書)、「諸書」(=詩編、その他の書物)と区分していましたから、聖書全体も「律法」、あるいは「律法と預言者たち」、もしくは「律法、預言者たち、詩編」などの名前で呼んでいたのです。したがって、ここではイエスが旧約聖書全体を完成するために来られたことを述べています。

 しかし、18節以降の記述は、聖書全体の中でも特におきてとしての律法に重点を置いています。しかも、どんな小さな点もおろそかにしてはならないことが強調されています。「天地の続くかぎり、律法の一点一画も消え失せることはなく、ことごとく実現するであろう。だから、最も小さな掟の一つでも破り、またそうするように教える者は、天の国で最も小さな者と呼ばれる」(18-19節)。「一点一画」という表現は、一つ一つのおきてどころか、細かな文字に至るまで、というニュアンスが感じられます。もちろん、それはこれまで教えられてきたおきてのことについて言っているのではなく、イエスによって、イエスのうちに完成される律法、教えについて言っているのです。細かな点にこだわることによって、全体を見失ってしまうことは避けなければなりませんが、ささいな気持ちでなされる細かな点の変更が全体の意味を変質させてしまうことの危険性も見過ごしてはならないのです。イエスの教えは一体的なものであり、一つ一つの教えがその総体の中で重要な意味を持っているからです。

 アリウス派をはじめとする異端の危険性はまさにこの点にありました。アリウス派は、イエスが被造物の中で最高の存在であることを認めてはおり、それで問題ないと考えていたのでしょうが、イエスを被造物とすることによって、実はイエスの救いの神秘そのものが成り立たなくなってしまうことを聖ヒラリオたちは注意深く見抜いていったのです。神との結びつきが保証されなくなってしまうからです。だれにでも分かるような大きな間違いではなく、ほとんどの人が見過ごしがちな小さな間違い。しかしそれが全体を覆してしまう……。だからこそ、教会はこのような主張を異端として、注意深く、そして忍耐強く斥けてきたのです。わたしたちも、イエスの救いの教えの細かな点に対して、このような安易な気持ちを持っていないか反省しつつ、この教えを全面的に受け入れ、生きる決意を新たにしたいものです。

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