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みことばの響き

悪魔の誘惑 四旬節第1主日(ルカ4・1~13)

 40日間、悪魔から誘惑を受けるイエス。「悪魔」について「国語辞典」を調べてみると、「神仏の教えを邪魔し、人を悪に誘う魔物」。『宗教学辞典』(東京大学出版会発行)によると、インドの民間信仰では「天上の世界において、人間にわざわいを与える霊」、ケルト族では「悪魔は森や暗い場所に住み、あるいは夜現れるもの」。『カトリック教会の教え』では、「天使は神の意志を人に伝えたり実行したりする神の使者、悪魔は罪によって神に逆らうようになった天使」と記されています。「悪魔」と言っても、種々の観点があります。

 さてイエスは荒れ野で40日間、悪魔から誘惑を受けた後に応えます。「人はパンだけで生きるものではない。神のことばによって生きる。」次に名誉や支配の誘惑。悪魔は世界のすべての国々を見せ、条件として「もしわたしを拝むなら」とつけます。「拝む」ということばは厳密には「わたしの方へひざまづくなら」という意味が込められています。それに対してイエスは、「あなたの神である主を拝み、ただ主に仕えよ」と語ります。最後に、力ある権能の誘惑。イエスはエルサレムの神殿の屋根の端に連れていかれ、「ここから飛び降りたらどうか」と言われます。それに対してイエスは「あなたの神である主を試してはならない」と言います。

 しかし、誘惑はこれで終わりません。「時が来るまで」とあるように、もっと強い誘惑が後で起こります。すわなち、弟子の一人であったイスカリオテのユダに裏切り、ペトロの三度にわたる否み、オリーブ山ではイエス自身の「父よ、御心なら、この杯をわたしから取り除けてください。しかし、わたしの願いではなく、御心のままに…」ということば。

 わたしたちにも種々の誘惑や試練があります。イエスの体験を思いながら、それらを乗り越えていく勇気を願いたいものです。

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