1 清さを得るための戦い
*洗礼によって、受洗者にはあらゆる罪から清められる恵みが授けられます。ただし、受洗者は肉欲やよこしまな欲望との戦いを続けなければなりません。神の恵みに助けられて、それができるようになるのです。
①貞潔の徳および賜物によって。貞潔は真摯な心で、二心なしに愛することを可能にします。
②人間の真の目的を目指す清い意向によって。受洗者は素直な目ですべてに神のみ旨を見いだし、それを成し遂げようと努めます。
③からだと心のまなざしの清さによって。感情や想像を抑制することによって。神の掟の道からそれさせようとする不潔な思いに楽しみを求めないようにすることによって。「愚か者は見て欲望をそそられ」(知恵15・5)ます。
④祈りによって。
*「私は、自力で禁欲ができるものと考えていました。それは、自分を知らなかったからでした。あなたが恵みをお与えにならなければだれも禁欲を守ることはできないということを知らないほど愚かでした。もしも私たちが心底からのうめき声をあげてあなたの御耳に訴え、私をお守りくださるようにと固い信仰をもってあなたにお願いしていたならば、あなたはきっと、禁欲のお恵みをお与えになっていたことでしょう」。(聖アウグスチヌス『告白』)
2 羞恥心
*清くなるためには羞恥心が必要です。羞恥心は節制を構成する要素の一つです。羞恥心は人間の心の中にあるものを守り、隠されていなければならないものを明るみに出すことを拒みます。羞恥心は貞潔のためにあるもので、その美しさを裏付けるものでもあります。また、人のまなざしや態度を、人間としての、またその結合体としての尊厳にふさわしいものにしてくれます。
*羞恥心は人間およびその愛の神秘にベールをかけ、愛の交わりにあっては忍耐と節度とを促し、男女が互いに与え合い、すべてをささげ尽くすという条件で満たされることを要求します。羞恥心とは慎みのことです。衣服の選択にあたっては示唆を与え、不健全な好奇心が現れそうな場合には、沈黙したり慎重になったりさせてくれます。こうして、羞恥心は思慮・分別となるのです。
*感情にかかわる羞恥心もあれば、体に関する羞恥心もあります。羞恥心は、流行の誘惑や支配的なイデオロギーの圧力などに対して抵抗できるような生き方をするよう励ましてくれます。
*羞恥心の表れ方は文化の相違によってさまざまです。しかしそれは、どんな所であろうとも、人間に固有な精神的品位を感じ取らせるものでもあることに変わりはありません。羞恥心は良心の目覚めによって生じます。子どもや青少年に羞恥心を教えることは、二元の尊厳に目覚めさせることです。
3 社会の浄化
*キリスト教的純潔は、社会的環境の浄化を求めます。社会的コミュニケーション・メディアに対しては、尊敬や慎みを重んじる情報を求めます。心の清さは氾濫する性的なものから人を解放し、扇情的でみだらな想像をかきたてるような鑑賞物から遠ざけくれます。
*いわゆる自由放任主義は、人間の自由についての誤った考えに基づいたものです。人間の自由が構築されるためには、まず道徳的掟によってしつけられなければなりません。教育の責任者に対しては、真実や心の美しさ、人間の倫理的・霊的品位などを尊重する教育を青少年に施すよう求めるべきです。
*「キリストのよい知らせは罪に倒れた人間の生活と文化を絶えず刷新し、罪の絶えない誘惑から生じる誤りと悪を攻め退けます。また民族の道徳を絶えず清め高め、精神的長所と各民族または各時代の美点を、天上の富をもって、あたかも内側からはぐくみ、強め、完成させ、キリストにおいて癒やします」。
