私たちにとってイエス様は、どのようなお方なのでしょう。人によって厳しい方、優しい方、いつも側におられる方など思われるのではないでしょうか。イエス様は、私たち一人ひとりとのつながりを大切にされますし、その人にとっておん父へと向かうために最も良い道を示されるお方なのではないでしょうか。改めて、「私とイエス様」の関係を見直すのもいいのかもしれませんね。
きょうのみことばは、ペトロの信仰告白とともに、イエス様がペトロに天の国の鍵を与える場面です。イエス様と弟子たちは、フィリポ・カイサリア地方に行かれます。この場所は、異邦人が多くいてそれぞれの文化が入り混じっていたようです。そのような所でイエス様は、「人々は、人の子を何者だと言っているのか」と言われます。イエス様のこの問いは、「ご自身が周りの人からどのように思われているのか」と気にされているという意味ではないようです。私たちは、「自分が周りからどのように思われているのか」と気になる人と、「周りからの目を気にしない人」とに分かれるのではないでしょうか。以前の私は、周りからの目を気にして「こうでなければならない」と自分に枷をかけていました。
イエス様のこの質問は、弟子たちに「人の子(ご自分)は、何者か」ということを改めて気づかせるものだったのではないでしょうか。この少し前に弟子たちは、イエス様からパンを準備していないことを注意されたと勘違いしている場面があります。その時、イエス様は弟子たちに「信仰の薄い者よ、どうして、パンを持っていないことを論じ合っているのか。……わたしがあなた方に言ったのは、パンのことではないことが、どうしてわからないのか」(マタイ16・5〜11参照)と言われています。イエス様は、長い間ご自分と一緒にいる弟子たちの信仰を確認させたかったのではないでしょうか。
弟子たちは、「洗礼者ヨハネだと言うものもあれば、エリアだと言う者もあります。……」と答えます。彼らの耳に入ってくるイエス様の人々の反応はそれぞれであり、どれも的を射ていません。イエス様は、弟子たちに「あなた方は彼らの言葉に惑わされないように」と思われたのでしょう。イエス様は「それでは、あなた方は、わたしを何者だと言うのか」と質問されます。このイエス様の質門は、弟子たちだけではなく【私たち一人ひとり】に対しての質問ではないでしょうか。イエス様は、改めて「あなたにとって【私は】何者なのか」と問われておられるのです。私たちは、「私ならどのように答えるのだろう」と振り返る時間を持つことで、自分の深い所でどのようにイエス様と向き合っているのかを思うことができることでしょう。このことが自分のイエス様への信仰告白となるのです。
ペトロは、「あなたは生ける神の子、メシアです」と答えます。この箇所の共観福音書をみますと、「あなたはメシアです」(マルコ8・29)、「神のメシアです」(ルカ9・20)とペトロが言っています。ただ、マタイ福音書では、「あなたは生ける神の子」という言葉が【メシア】の前についています。この「生ける神の子」という言葉は、私たちの【今】も生きておられるということではないでしょうか。イエス様は、聖書の時代だけに生きておられるお方ではなく、「今もいつも世々に至るまで」おられるお方なのです。マタイ福音書は、イエス様のことを「その名はインマヌエルと呼ばれる」(マタイ1・23)、「いつもあなた方とともにいる」(マタイ28・20)とありますように、意識してペトロの信仰告白の中に入れたのかもしれません。
イエス様は、「シモン・バルヨナ、あなたは幸いである。あなたにこのことを示したのは人間ではなく、天におられるわたしの父である。」と言われます。ペトロは、この信仰告白を口にする中で改めて「私とイエス様」を考えたのではないでしょうか。この時ペトロは「頭で考える」のではなく、イエス様が言われたようにおん父と向かい合い、自分の中に響いてくるおん父の言葉を素直に口にしたのでしょう。私たちは、このペトロが口にしたようにイエス様の声、おん父の声に敏感になって、「私とイエス様」を見つめることができたらいいですね。
イエス様は、「そこで、わたしもあなたに言う。あなたはペトロである。わたしはこの岩の上に教会を建てる。……あなたに天の国の鍵を授ける。」と言われます。イエス様は、ここでペトロに教会の【首位権】を与えられます。この首位権は、今に至るまで【教皇】として継がれていています。このようにみますと、イエス様がペトロに与えた【首位権】は、教会共同体にいる私たち一人ひとりにまで影響されていることになります。
イエス様は、ペトロに【鍵】を与えられます。もちろん、この【鍵】は、目に見えるものではありません。この【鍵】は、私たちを【天の国】に迎えるための【鍵】といってもいいでしょう。私たちは、教会共同体の中でこの【鍵】によって開かれている【天の国】に入っているのです。その【天の国】で私たちは、いつも側におられるイエス様を感じ、おん父との宴に参加しています。この恵みに感謝して「私とイエス様」ということを振り返ることができたらいいですね。
