書籍情報、店舗案内、神父や修道士のコラムなど。

これってどんな種?

耳を澄まして言葉を聴くという種 復活節第6主日(ヨハネ14・23〜29)

 人の話を聞くとき、「聞く」と「聴く」という漢字を用いることがあります。特に、注意して耳を傾けて聞くとき、「聴く」という言葉を使います。パウロは、「信仰は聞くことから始まります。そして、聞くことは、キリストについての言葉を聞くことです。」(ローマ10・17)と言っています。私たちは、イエス様の「言葉」を聞き漏らすことがないように、耳を傾けて【聴く】ことができたらいいですね。

 典礼では、次の週が「主の昇天」となります。復活されたイエス様は、弟子たちのもとを去って、おん父の所に昇って行かれます。きょうのみことばは、弟子たちに、【聖霊】と【平安】をお与えになることを約束される場面です。イエス様は、この「最後の晩餐」の話の中で「この世から父のもとに移る」(ヨハネ13・1)、「もう少しの間わたしはあなた方とともにいる」(ヨハネ13・33)、「わたしが行って、あなた方の場所を準備したら、戻ってきて……」(ヨハネ14・3)、「世はもはやわたしを見なくなるが、あなた方はわたしを見る」(ヨハネ14・19)など、ご自分が弟子たちの前からいなくなるという意味の話をされます。

 そのような弟子たちに対してきょうのみことばは、「わたしを愛する者は、わたしの言葉を守る。わたしの父はその人をお愛しになり、わたしたちはその人の所に行き、ともに住む」というイエス様の言葉から始まっています。イエス様は、「おん父と一緒になってその人の中に住まわれる」と弟子たち(私たち)にお約束されます。ただ、そのためには、「わたしを愛する者は、わたしの言葉を守る。」という条件があります。

 イエス様は、「わたしを愛さない者は、わたしの言葉を守らない。あなた方が聞いているのは、わたしの言葉ではなく、わたしをお遣わしになった父の言葉である」と言われます。イエス様は、この中で、【言葉】ということを繰り返し何度も使われます。私たちは、この【言葉】を【聴く】ということがイエス様から求められていています。この【言葉】の中には、イエス様だけではなくおん父の【言葉】も含まれているのです。イエス様は、「わたしがあなた方に言う言葉は、自分勝手に語っているのではない。わたしのうちにおられるおん父が、ご自分の業を行っておられるのである。」(ヨハネ14・10)と言われています。私たちは、イエス様の【愛の言葉】を守り、イエス様とおん父をお迎えすることができたらいいですね。

 イエス様は、「これらのことを、わたしはあなた方とともにいる間、話してきた。……わたしが言ったことをすべて思い起こさせてくださる。」と言われ、おん父が【聖霊】をお遣わしになられることを約束されます。【聖霊】は、イエス様が語られたことだけではなく、イエス様のすべてを思い起こさせてくださるお方なのです。聖霊は、私たちがみことばを「聞き(読む)」とき、その【言葉(文字)】、だけではなく、その中におられるイエス様のことすべてを思い起こさせ、悟らせてくださるのです。

 イエス様は、「わたしはあなた方に平和を残す。わたしの平和をあなた方に与える。わたしは世が与えるように、これを与えるのではない。」と言われます。復活されたイエス様は、弟子たちにお現れになられた時に「あなた方に平和があるように」(ヨハネ20・19、21、26)と言われています。イエス様は、この【平和】を私たち一人ひとりにお与えくださるのです。イエス様の平和は、エゴに満ちたこの世的なものではない、愛に満ちた平和をくださるのです。私たちは、もうすでに愛で満ちた【平和】を頂いているのです。ですから、私たちは、「心を騒がせることも、恐れることもない」と言われるイエス様の言葉に信頼して歩むことができるのです。

 イエス様は、「……もしわたしを愛しているなら、わたしが父のもとに行くのを、あなた方が喜ぶはずである。」と言われます。イエス様は、ご自分がこの世から去って行くのは、おん父のもとに行くためであることを弟子たちに強調されます。このことは、ご自分とおん父が私たちの所に来られ一緒に住まわれるためであり、私たちの場所を準備するため(ヨハネ14・3参照)に必要不可欠と言われておられます。

 イエス様は、「事が起こった時に、あなた方が信じるように、今、事の起こる前に、わたしはあなた方に語った。」と言われます。イエス様が言われる「事が起こった時」と言われるのは、【復活】から【昇天】そして【聖霊降臨】に至るまでのことではないでしょうか。イエス様は、弟子たちが宣教に出かけ福音を伝える時に必要な教えを語られています。ここでイエス様は、「あなた方に語った」と言われます。私たちは、日々の生活の中でイエス様が語られた【言葉】を【聖霊】の助けを頂いて【聴き】、【守り】ながら、イエス様の【平安】を歩むことができたらいいですね。

  • 記事を書いたライター
  • ライターの新着記事
井手口満修道士

聖パウロ修道会。修道士。 1963年長崎に生まれ、福岡で成長する。 1977年4月4日、聖パウロ修道会に入会。 1984年3月19日、初誓願宣立。 1990年3月19日、終生誓願宣立。 現在、東京・四谷のサンパウロ本店で書籍・聖品の販売促進のかたわら、修道会では「召命担当」、「広報担当」などの使徒職に従事する。 著書『みことばの「種」を探して―御父のいつくしみにふれる―』。

  1. イエス様の証人となるという種 主の昇天(ルカ24・46〜53)

  2. 耳を澄まして言葉を聴くという種 復活節第6主日(ヨハネ14・23〜29)

  3. 栄光を頂くという種 復活節第5主日(ヨハネ13・31〜33a、34〜35)

RELATED

PAGE TOP