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これってどんな種?

みことばを伝える者という種 年間第11主日(マタイ9・36〜10・8)

 私たちは「点呼」と聞いたとき何を思い出すでしょうか。この意味は「一人ひとりの名を呼んで、人数がそろっているかを調べること」(『新明解国語辞典』)とあります。その他に「点呼」という意味で、その人の意志を確認する時にも使うときもあるのではないでしょうか。私が修道院に入って、「入修練」や「誓願」を立てるときに「名前」を呼ばれ管区長の前に進み出て、これからの「修道生活」を受け入れる意志を表しました。

 きょうのみことばの中では、イエス様が呼び寄せた12人の弟子たちの名前が記されてあります。彼らは、「自分たちは、これでイエス様の弟子として歩んで行こう」という意志を固めたことでしょう。私たち一人ひとりの名前もこの12人の中の最後に入れてみるのもいいのかもしれませんね。

 きょうのみことばは、イエス様が12人の弟子たちを宣教へと派遣される場面です。きょうのみことばの前の節では「イエスは町や村を隈なく巡り、ユダヤ人の会堂で教え、み国の福音を宣べ伝え、あらゆる病気や患いを癒やされた」とあって、「また、イエスは、群衆が牧者のいない羊の群れのように疲れ果て、倒れているのを見て」ときょうのみことばが始まっています。イエス様は、町や村を【隈なく巡られ】そこで人々を癒やされます。

 羊飼いはどこに牧草や水場があるかを知っていますし、狼などの野獣が来たときに追い払って羊を守ります。羊たちも自分たちを導いいてくれる羊飼いを信頼してついていきます(ヨハネ10章参照)。ですから、牧者がいないと羊達は生きていくことが出来ません。イエス様は、町や村にいる群衆がまるで「牧者のいない羊」のように思えたのです。彼らは、生活や仕事での苦しみ、また、ローマ人や一部の富裕層からの圧政などを受け心身ともに疲れていたのでしょう。また、貧しさのためにその日の食事もろくに食べることができない人、心身の病気で苦しんでいる人もいたのでしょう。

 イエス様は、群衆の姿をご覧になられて憐れに思われます。この【憐れ】というのは、「はらわたがえぐられる」「心が揺さぶられる」という意味のようです。ですから、イエス様は、群衆に対して居ても立ってもいられず、弟子たちに「刈り入れは多いが、働く人は少ない。だから、刈り入れのために働く人を送ってくださるよう、刈り入れの主に祈り求めなさい」と言われます。イエス様は、お一人でも宣教することがおできになれるのでしょうが、そのようになさらず、一緒に働いてくれる人【刈り入れのために働く人】が必要だったのです。

 イエス様は、その働き手として12人の弟子たちを呼び寄せられます。イエス様は、彼らに汚れた霊を追い出し、あらゆる患いや病気を癒す権能をお与えになられます。イエス様が弟子たちにお与えになった【権能】は、ご自分が実際人々に行なってきた【業】です。イエス様は、それを弟子たちに託され【牧者のいない羊の群れ】である人々を癒すようにと命じられます。

 みことばには、「12使徒の名は、次のとおりである。まずペトロと呼ばれるシモン、その兄弟アンデレ、……そしてイエスを裏切ったイスカリオテのユダである」とあります。この12人の中には、漁師や、徴税人、熱心党(政治宗教団体)、そして、ご自分を裏切る人などさまざまな人がいて、学者や裕福な人、今でいう「エリート、勝ち組」といった人はいませんでした。イエス様は、そのような人をご自分と同じ【権能】をお与えになられ、使徒として派遣されます。

 イエス様は、「異邦人の道に行ってはならない。……イスラエルの家の失われた羊のもとへ行きなさい。……悪霊を追い出しなさい。」と言われます。イエス様の宣教の対象は、イスラエルの人々に対して行われます。もちろん、復活されたイエス様は、「すべての国の人々を弟子にしなさい」(マタイ28・19)と言われますが、まずは、イスラエルの人々に対してでした。しかし、イスラエルの人々の中には、イエス様の教えを受け入れることができない人もいたようです。パウロは、「神の言葉は、まず、あなた方に語られなければならなかったのです。ところが、あなた方はそれを拒み、自分たちを永遠の命を受けるに値しない者としてしまっている。そこで、今、異邦人たちのほうに向かっていきます。」(使徒言行録13・46)と言っています。

 弟子たちは、イエス様の指示通りにイスラエルの失われた羊のために宣教をいたします。イエス様は、ご自分がなさった福音宣教の仕方をそのまま弟子たちに伝えます。きっと、弟子たちは、自分たちが人々に教え、癒すことができることに喜びと誇りを持ったことでしょう。そのような弟子たちにイエス様は、「ただで受けたのだから、ただで与えなさい」と言われます。イエス様は、「弟子たちの力ではない。すべておん父からいただいた恵みなのだ」ということを弟子たちに伝えたかったのでしょう。

 私たちは、イエス様から【権能】を与えられ使徒として派遣されています。この恵みを感謝するとともに、謙遜な心で忠実にみことばを伝えることができたらいいですね。

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井手口満修道士

聖パウロ修道会。修道士。 1963年長崎に生まれ、福岡で成長する。 1977年4月4日、聖パウロ修道会に入会。 1984年3月19日、初誓願宣立。 1990年3月19日、終生誓願宣立。 現在、東京・四谷のサンパウロ本店で書籍・聖品の販売促進のかたわら、修道会では「召命担当」、「広報担当」などの使徒職に従事する。 著書『みことばの「種」を探して―御父のいつくしみにふれる―』。

  1. みことばを伝える者という種 年間第11主日(マタイ9・36〜10・8)

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