私たちは、「聖霊」と聞くときどのようなイメージを浮かべるでしょうか。私たちは、「聖霊」を三位一体の中の神として、または、「鳩」や「炎のような舌」「風」というようなお方と思い浮かべることでしょう。では、実際、私たちの生活の中で「聖霊」を意識することはどのような時でしょうか。きょうのミサの中で司祭が唱える「叙唱」には、「御ひとり子とともに神の国を継ぐ人々の上に、あなたはきょう聖霊を注ぎ、過越の神秘を完成してくださいました。」とあります。このように、考えますと【聖霊】は、もうすでに私たち一人ひとりの上に注がれているのです。私たちは、今一度私たちの上に注がれている【聖霊】を意識してみるのもいいのかもしれません。
きょうのみことばは、イエス様が復活された夕方に弟子たちにお会いになられ、【聖霊】をお与えになる場面です。みことばには、「ユダヤ人を恐れて、自分たちのいた場所の戸にはことごとく鍵をかけていた」とあります。彼らは、自分たちを支えていたイエス様が十字架にかけられて亡くなり、おまけに、墓に安置されているはずのご遺体まで無くなっていることを知ります。また、ペトロともう一人の弟子(ヨハネ)の報告や、マグダラのマリアが「わたしは主を見ました」と言うのを聞いても、弟子たちは、イエス様の復活についてまだ理解できていませんでした。むしろ、弟子たちは、イエス様を十字架につけたユダヤ人たちが自分たちを捕らえにくるのではないかと恐れていたのです。
みことばの中にある「戸にはことごとく鍵をかけていた」というのは、実際に戸に鍵をかけていたという意味もありますが、自分たちの心の「戸にも鍵をかけていた」とも考えられるのではないでしょうか。彼らは、自分たち一人では怖くていてもたってもいられなかったことでしょうし、せめて今までイエス様と一緒に生活した仲間といたかったのでしょう。また、彼らは、イエス様が一番苦しい時に、逃げてしまったという自責の念にもかられていたのかもしれません。弟子たちは、いろいろな意味で不安と恐れでいっぱいだったのです。
そのような中、イエス様がおいでになられ彼らの真ん中に立って「あなた方に平和があるように」と言われ、両手と脇腹とをお見せになられます。弟子たちは、その時初めてイエス様が復活されたことを信じます。イエス様は、ご自分が十字架にかけられた時の釘の痕と、兵士の一人が槍で突き刺した脇腹の傷の痕を見せられます。弟子たちは、その傷痕を見ることで、十字架上で亡くなられたイエス様が本当に復活されたお方なのだと信じたのです。
弟子たちは、イエス様を見て喜びます。それは、復活されたイエス様に会えたこともありますし、イエス様が自分たちを咎めるのではなく「あなた方に平和があるように」という言葉掛けをしてくださったからなのです。この言葉は、ユダヤ人たちの挨拶で「シャローム」ということですが、イエス様が言われる「平和」はもっと深い意味があるのです。この【平和】は、イエス様が、最後の晩餐の中で「わたしはあなた方に平和を残す。わたしの平和をあなた方に与える。」(ヨハネ14・27)と弟子たちに伝えた【平和】で、イエス様を通して与えられたおん父からの愛であり、安らぎ、幸福が含まれている【平和】なのです。
イエス様は、もう一度弟子たちに「あなた方に平和があるように」言われてから「父がわたしをお遣わしになったように、わたしもあなた方を遣わす」と言われます。イエス様は、弟子たちに対してご自分と同じ権限を弟子たちに与えられたのです。もちろん、このことは弟子たちだけではなく、私たち一人ひとりに対しても同じように与えてくださったのです。このことは、私たちへの【派遣】を意味していると言ってもいいでしょう。
イエス様は、弟子たちに息を吹きかけられます。イエス様は地上空気を鼻から吸って口から息を吹きかけられたのです。その【息】は、イエス様のお体に入ったものを弟子たちが受けたのです。イエス様は、私たちが、誕生日のケーキの上に灯されたローソクの炎を消すように弟子たちに吹きかけられたのではないでしょうか。弟子たちは、どのような思いでその【息】を受けたのでしょう。
イエス様は、まず恐れでいっぱいの心、自責の念にかられた心を【平和】によって癒され、そして、【聖霊】をお与えになられます。イエス様は、私たちがこの強い感情に傾きすぎるのを一旦落ち着かせて【聖霊】をくださいます。
イエス様は、「聖霊を受けなさい。誰の罪であれ、あなた方が赦せば、その罪は赦され、あなた方が赦さないなら、赦されないまま残る」と言われます。イエス様は、私たちが心から人を【赦す】ことの難しさをご存じなので【聖霊】の助けをお与えになられたのです。私たちは、聖霊に満たされ、おん父からの【平和】を頂き、人を赦すという愛に包まれて【派遣】されたのです。司祭は、ミサが終わる時に「感謝の祭儀を終わります。行きましょう、主の平和のうちに」と唱えます。この派遣の祈りは【聖霊】の恵みも含まれているのです。私たちは、日々の生活を通してミサで受けた【平和】と【聖霊】の恵みに感謝しながら過ごすことができたらいいですね。

