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お知らせ

予告|聖フランシスコ年黙想講話『すべてを捨てて、彼は笑った』 2月4日(水)より配信開始!

 教皇レオ14世はアッシジの聖フランシスコ没後800年を記念する特別聖年を公布した。
 聖フランシスコ没後800年を記念するこの一年を、私たちはしばしば「清貧や愛徳を学び、少しでも近づく年」として受け取りたくなります。けれどもフランシスコの転回の核心は、徳目を“足した”ことより、人生を縛っていたものを“やめた”ことにあります。勝てるレール、納得させる言葉、役に立つ自分、理想としての清貧、神のためという緊張、そして完成品への執着――それらは外側から見ると立派に見えますが、内側では人を休ませず、愛を義務へと変えていきます。
 この隔月黙想は、フランシスコを「成功した聖人」として鑑賞するためではありません。むしろ、私たちの中に残っている“見えないレース”を照らし出し、そこから降りる勇気を神の前で受け取るための時間です。やめることは投げ出すことではなく、神が働ける余白を差し出すことです。空っぽになった手のひらにしか、受け取れないものがある――この一年、その感覚を少しずつ取り戻していきます。

配信予定


第1回(2月4日)「フランシスコは、勝てた人生をやめた」

 負けたからではなく、勝ち筋が見えていたレースから自分の足で降りたとき、初めて始まる自由があることを見つめます。
第2回(4月1日)「フランシスコは、説明をやめた」
 「なぜ?」に追い詰められる世界で、正当化の鎧を脱ぎ、説明できない沈黙に神の許可を見出します。
第3回(6月3日)「フランシスコは、“役に立つ人”であることをやめた」

 機能と成果で自分を証明する疲れをほどき、何もできない自分が最も深く愛されている場所へ戻ります。
第4回(8月5日)「フランシスコは、清貧を理想にしなかった」

 貧しさを達成目標にせず、失うことへのパニックの正体を見抜いて、神への信頼へと飛び込みます。
第5回(10月7日)「フランシスコは、神のために生きるのをやめた」

 神を遠くの採点者にしないで、同行者として迎え直すとき、義務が関係へと変わっていきます。
第6回(12月2日)「フランシスコは、何も完成させなかった」
 完成品を差し出したくなる季節に、未完のまま歩むことこそが神の余白であり、次の創造の入口だと知ります。

著者紹介
大西徳明。聖パウロ修道会司祭。愛媛県松山市出身の末っ子。子供の頃から“甘え上手”を武器に、電車や飛行機の座席は常に窓際をキープ。焼肉では自分で肉を焼いたことがなく、釣りに行けばお兄ちゃんが餌をつけてくれるのが当たり前。そんな末っ子魂を持ちながら、神の道を歩む毎日。趣味はメダカの世話。祈りと奉仕を大切にしつつ、神の愛を受け取り、メダカたちにも愛を注ぐ日々を楽しんでいる。

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