復活したイエス様を信じるというのは、どのようなことなのでしょうか。私は幼児洗礼でしたから、物心がついた時には、両親と教会に行っていました。ですから、何の迷いもなくイエス様がおられるということを信じていました。
最近、私の周りで喜ばしいことがありました。それは、私の姪の長女が洗礼を受けるために姪と一緒に教会に行って神父様に要理の勉強を始めたいと言いに行ったのです。なぜ彼女が洗礼を受けようと思ったのかというと、私の姉の葬儀がきっかけだそうです。きっと、天国に行った姉の働きでしょうし、イエス様がお働きになられたのでしょう。イエス様との出会いは、人それぞれ違います。ただ、イエス様を知った喜びは十分にあるでしょうし、信仰生活を歩む上で大きな力となることと思います。
きょうのみことばは、復活されたイエス様が弟子たちと出会う場面です。みことばは、「その日、すなわち、週の初めの夕方のことであった。」というみ言葉で始まっています。その日の朝には、マグダラのマリアが「空の墓」を見てイエス様が誰かが主を取り去った、と思い込みます。その後ペトロとイエスが愛した弟子が「空の墓」を見て一人は信じますが、ペトロの方は疑問が残ったようです。
さらに、きょうのみことばの前では、イエス様がマグダラのマリアに会われます。マグダラのマリアは弟子たちに「『わたしは主を見ました』と言い、主が仰せになったことを弟子たちに告げます。」(ヨハネ20・18)。弟子たちは、マグダラのマリアや、ペトロとイエス様が愛されたもう一人の弟子からの知らせを聞き、イエス様が本当に復活されたことが信じられなかったことでしょう。
イエス様が復活された日は、朝から夕方にかけて弟子たちにとっても何が何だかわからない一日だったのではないでしょうか。そこへイエス様がお現れになられて「あなた方に平和があるように」と言われます。きっと弟子たちは、恐れとともに、喜びもあったのではないでしょうか。ペトロは、以前イエス様に「あなたのために命も捨てます」(ヨハネ13・37)と言っていますし、ディディモと呼ばれたトマスは仲間の弟子たちに「わたしたちも行って、主とともに死のう」(ヨハネ11・16)と言っています。にもかかわらず、弟子たちはイエス様が捕らえられ、十字架上でお亡くなりになった時には、逃げてしまっていました。唯一十字架のもとに残ったのは、イエス様が愛された弟子一人でした。
そのような弟子たちの所にイエス様はお現れになり、「あなた方に平和があるように」と2度も言われたのです。イエス様は、ご自分が一番お辛い時に逃げた弟子たち、特にペトロは3度もイエス様を「知らない」と言ったにもかかわらず、弟子たちに対して「あなた方に平和があるように」と言われたのです。それは、弟子たちにとって自分たちの弱さ、罪をすべて癒され、お赦しになられたことを意味する挨拶でした。ヘブライ語でこの「あなた方に平和(シャローム)」というのは、一般的に使われた挨拶で日本の「こんにちは」というのと同じようなものです。しかし、イエス様が言われた「あなた方に平和があるように」というのは、ただの挨拶ではなく、「わたしの平和をあなた方に与える」(ヨハネ14・27)と言われた、イエス様がお与えになる【平和】という意味なのです。
イエス様は、弟子たちに息をお吹きかけられ「聖霊を受けなさい。誰の罪であれ、あなた方が許せばその罪は許され、あなた方が許さないなら、許されないまま残る」と言われます。このイエス様が息を吹かれて弟子たちに与えた【聖霊】は、洗礼の恵みを頂いた私たち一人ひとりも同じように頂いているのです。私たちはそれぞれ感情がありますから、嫌いな人、自分に害を及ぼす人に対して心から【許す】というのは、本当に難しいことです。そこには、イエス様が言われる「あなた方に平和」と【聖霊】の働きが不可欠と言ってもいいでしょう。
さて、弟子たちに「主とともに死のう」とまで言ったトマスは、復活の日の夕方に他の弟子たちと共にいませんでした。トマスは、ほかの弟子たちが「わたしたちは主を見た」という言葉に対して「わたしはその手に釘の跡を見、……決して信じない」と弟子たちに言います。トマスの心の中では、「どうしてイエス様は、自分がいない時に他の弟子たちに現れたのか」と半分悔しかったのかもしれません。そんなトマスの所にイエス様は、再びお現れになられます。イエス様は、トマスに「あなたの指をここにあて、……信じない者ではなく、信じる者になりなさい」と言われます。トマスは、この時初めてイエス様が復活されたことを信じて「わたしの主、わたしの神よ」と言います。トマスは、自分の弱さを認め、心から復活されたイエス様を信じることができたのです。
イエス様は、「……見ないで信じる人たちは幸いである」と言われます。ペトロの手紙の中に「あなた方は、イエスを見たことはありませんが、愛しています。今、見ていませんが、信じて、言い尽くせない輝かしい喜びに溢れています」(1ペトロ1・8)とあります。今、私たち一人ひとりも同じように、復活されたイエス様を愛し、そして喜びを持って信じています。私たちは、日々の生活の中で復活されたイエス様の愛の中で喜びのうちに過ごすことができたらいいですね。
