書籍情報、店舗案内、神父や修道士のコラムなど。

これってどんな種?

分け与える恵みという種 三位一体の主日(ヨハネ16・12〜15)

 日本タバコ産業のCMに鬼が若いカップルに「おい人よ、心の豊かさってなんだ」と聞く場面があります。鬼の質問に答えて「分け合うってことかな」と答える男性に対して鬼は、「分けたら減るだろう」と言います。今度は、その鬼の言葉に対して女性の方は、「でも、嬉しさが増えるでしょ」と答えます。最後にナレーションで「嬉しさは分け合うと増える。鬼はまた、心の豊かさを知ったのでした」という言葉で終わります。わずか、30秒ほどのCMですが、なんとなく心がほっこりするものです。

 きょうの典礼は「三位一体の主日」です。「三位一体」と聞くとアウグスティヌスとある逸話を思い出します。それは、「アウグスティヌスが、三位一体のことを考えながら浜辺を歩いていたときに、一人の子どもが海の水を砂に穴を掘って入れようとしていました。アウグスティヌスがその子に『何をしているのか』と聞くと、その子は『海の水を全てこの穴に入れようといている』と答えます。アウグスティヌスは、彼に『そのようなことは無理に決まっている』と答えると、その子は『三位一体の神秘を人間の頭で理解しようとしているのと同じこと』と答えて消えたそうです」。私たちは、「三位一体」の神秘を頭で理解するのではなく、心で感じるのが一番の近道かもしれません。

 きょうのみことばは、イエス様が「最後の晩餐」の中で弟子たちに聖霊について話されている場面です。きょうのみことばの少し前でイエス様は、「わたしが去っていくのは、あなた方にとって有益である。わたしが去っていかなければ、弁護者は、あなた方のもとにおいでにならないからである。しかし、行けば、わたしは弁護者をあなた方のもとに遣わす。」(ヨハネ16・7)と言われます。

 そして、きょうのみことばは「わたしにはまだたくさんあなた方に言いたいことがある」という言葉で始まっています。イエス様は、ご自分が受難と死を受けて弟子たちの前から去られることをご存知でした。ですから、「弁護者(聖霊)」をお遣わしになられることを約束されます。イエス様は、弟子たちとの別れを悲しまれ、それでもいろいろなことを伝えたいという思いでいっぱいでした。イエス様が言われる「まだたくさん……」という言葉は、イエス様のアガペの愛の表れなのです。

 イエス様は、悲しみに沈む弟子たちが、ご自分が言っていることを理解できないことをご存知でした。それで「今、あなた方はそれに耐えることができない。」と言われます。きっと、弟子たちは涙を流し、イエス様も同じように涙を流され、悲しまれていたことでしょう。それでも、伝えたいことがたくさんあったのです。イエス様はご自分が去った後に【弁護者】を送って弟子たちを導くことをお約束され、「真理の霊であるその方が来られると、真理のあらゆる面であなた方を導いてくださる。」と言われます。イエス様は、別のところで「わたしは道であり、真理であり、命である」(ヨハネ14・5)と言われています。イエス様は、聖霊がご自分(真理)と同じように弟子たちを導いてくださると言われているのです。

 イエス様は、「その方は自分勝手に語るのではなく、聞いたことを語り、起ころうとしていることを、あなた方に告げてくださるからである。」と言われます。イエス様は、聖霊がご自分からの言葉、おん父からの言葉のすべてを私たちに伝えてくださると言われます。パウロは、「わたしたちが受けたのは、この世の霊ではなく、神からの霊です。それは、神から恵みとして与えられたものをわたしたちが知るためです。」(1コリ2・12)と伝えています。私たちは、聖霊によっておん父の恵みを感じ、知るという恵みをいただくことができるのです。

 イエス様は、「わたしのものを受けて、あなた方に告げ知らせてくださるからです。」と言われます。イエス様は【弁護者】としておん父からの言葉を、聖霊もまた「別の【弁護者】(ヨハネ14・16)」としてイエス様の言葉を私たちに告げ知らせてくださるのです。イエス様は、聖霊が「自分勝手に語るのではなく」と言われていますので、その言葉は、忠実にまったく変わることなく、私たちのもとに伝えられているのです。

 イエス様は、「父が持っておられるものはすべて、わたしのものである。だから、その方がわたしのものを受け、あなた方に告げ知らせると、言ったのである。」と言われます。イエス様は、「おん父のすべてをご自分が受け、また、聖霊は、おん父とご自分が持っているすべてを受けて、私たちに告げ知らせる」と言われています。おん父の【アガペの愛】は、ご自分から子であるイエス様に、そして聖霊に分たれて、私たちのもとに届けられているのです。

 パウロは、「主イエス・キリストの恵み、神の愛、聖霊の交わりが、みなさん一同とともにありますように。」(ローマ13・13)と伝えています。私たちは、おん父から【分け与えられた愛】をいただいています。今度は、私たちがその恵みを日々の生活の中で周りの人に【分け与える】ことができたらいいですね。

  • 記事を書いたライター
  • ライターの新着記事
井手口満修道士

聖パウロ修道会。修道士。 1963年長崎に生まれ、福岡で成長する。 1977年4月4日、聖パウロ修道会に入会。 1984年3月19日、初誓願宣立。 1990年3月19日、終生誓願宣立。 現在、東京・四谷のサンパウロ本店で書籍・聖品の販売促進のかたわら、修道会では「召命担当」、「広報担当」などの使徒職に従事する。 著書『みことばの「種」を探して―御父のいつくしみにふれる―』。

  1. 隣人となるという種 年間第15主日(ルカ10・25~37)

  2. 宣教の喜びという種 年間第14主日(ルカ10・1〜12、17〜20)

  3. 天の国の鍵という種 聖ペトロ 聖パウロ使徒の祭日(マタイ16・13〜19)

RELATED

PAGE TOP