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これってどんな種?

イエス様の証人となるという種 主の昇天(ルカ24・46〜53)

 私が小さい頃、「仮面ライダー」や「ウルトラマン」というテレビ番組がありました。その頃、「仮面ライダーごっこ」というのが流行って、「仮面ライダー変身」と言って自分が「仮面ライダー」に変身した気持ちになって「ショッカー(悪者)」を倒していくという遊びをしていました。

 「仮面ライダー」や「ウルトラマン」などは、変身前は弱いただの人間が変身することによって強くなって悪者を倒していくのです。では、私たちは、この世の悪とどのように戦っていけばいいのでしょうか。私たちは、変身はできませんが【変容】することはできるのではないでしょうか。私たちは、傲慢で罪深く本当に弱い人間です。しかし、自分の弱さに気づいて全面的にイエス様に委ねるとき、私たちは【変容】のお恵みをいただくことができるのではないでしょうか。

 きょうのみことばはイエス様が弟子たちの目の前で天に昇られる場面です。きょうのみことばの前では、イエス様が弟子たちの所に現れて、幽霊だと恐れている彼らの前で食事をされます。イエス様は、食事の後に聖書を悟らせるために弟子たちの心を開かれます(ルカ24・36〜45参照)。イエス様は、ご自分が天に昇って、おん父の所に行く前に大切な使命を弟子たちに伝えるために、弟子たちの心を開かれたのです。

 イエス様は「次のように書き記されている、『メシアは苦しみを受け、3日目に復活し、その名によって罪の赦しへ導く悔い改めが、エルサレムから始まり、すべての民に宣べ伝えられる』。あなた方はこれらの事の証人である。」と言われます。イエス様は、「次のように書き記されている」と言われていますが、もちろん、このことは、「聖書に書き記されている」という意味ですが、聖書のどの箇所という意味ではなく、イエス様がこの世におん父から遣わされた使命、働きという意味で使われているようです。

 イエス様は、ご自分の「受難と死」そして「3日目に【復活】」されることを繰り返し弟子たちにお話になられました。そしてさらに、「その名によって『罪の赦しへ導く悔い改めが、エルサレムから始まり、すべての民の宣べ伝えられる』。あなた方はこれらのことの証人である」と言われます。今、弟子たちは復活されたイエス様と出会い、食事をして聖書についての教えを聞いているのです。弟子たちは、イエス様が自分たちに話された教え、また、自分たちだけではなく、人々へのさまざまな教えや、奇跡を思い出したことでしょう。

 イエス様は、ご自分が弟子たちと生活され教え、奇跡を起こされたことはすべて「その名によって『罪の赦しへ導く悔い改めが、エルサレムから始まり、すべての民の宣べ伝えられる』」ことのためだった、と言われているのではないでしょうか。イエス様は、おん父から離れて行った人々が【罪の赦しへ導く悔い改め】、再びおん父のもとへ戻るために、【受難と死】そして【復活】されたのです。

 イエス様は、弟子たちに「あなた方はこれらのことの証人である」と言われます。この【証人】という意味は、「何かの事実を証明する人。〔法律では、裁判所または国会に呼び出され、実際に見聞きしたことを申し述べる人を指す〕」(『新明解国語辞典』)とあります。では、イエス様が言われる【証人】とはどういうことでしょう。弟子たち(私たち)は、あくまでも自分のことを語るのではなく、イエス様がなさったこと、イエス様から頂いた【福音】を人々に伝えることで、イエス様の【証人】となるのです。

 イエス様は、「わたしは、父が約束されたものをあなた方に送る。だから、いと高き所からの力を身に帯びるまでは、都に留まっていなさい」と言われ、【聖霊】が遣わされることをお約束されます。イエス様は、私たちが【証人】になるためには、【聖霊】の働きがなければできないと言われているようです。

 イエス様は、弟子たちをベタニアの近くまで連れて行かれ、両手を上げて彼らに祝福を授けながら、天へと上げられていきます。ヨハネ福音書では「今、わたしは、わたしをお遣わしになった方のもとに行こうとしているが、」(ヨハネ16・5)と言われています。ですからこの「天」とは、「空」という意味ではなく、「おん父の所」という意味のようです。

  弟子たちは、イエス様が天に昇られた後に、エルサレムに帰って、絶えず神殿の境内にいて、神をほめたたえます。それまでの弟子たちは、ユダヤ人たちを恐れ、家の戸を閉めていたり、イエス様が復活されることを理解できずに失望したりと弱い弟子たちでした。しかし、今、イエス様から【証人】という使命を新たに受け、また、祝福をいただき、ユダヤ人たちを恐れることなく、神殿の境内で神をほめたたえているのです。弱かった弟子たちは、今、【変容】したのでした。私たちは、弟子たちと同じようにこの使命と聖霊の恵みを頂いているのです。私たちは、日々の生活の中で聖霊の助けを受け、【変容】することによってイエス様の【証人】となることができたらいいですね。

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井手口満修道士

聖パウロ修道会。修道士。 1963年長崎に生まれ、福岡で成長する。 1977年4月4日、聖パウロ修道会に入会。 1984年3月19日、初誓願宣立。 1990年3月19日、終生誓願宣立。 現在、東京・四谷のサンパウロ本店で書籍・聖品の販売促進のかたわら、修道会では「召命担当」、「広報担当」などの使徒職に従事する。 著書『みことばの「種」を探して―御父のいつくしみにふれる―』。

  1. イエス様の証人となるという種 主の昇天(ルカ24・46〜53)

  2. 耳を澄まして言葉を聴くという種 復活節第6主日(ヨハネ14・23〜29)

  3. 栄光を頂くという種 復活節第5主日(ヨハネ13・31〜33a、34〜35)

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