聖年にあたって、よく「免償」という言葉を聞きます。ラテン語では、Indulgentiaと表記されています。(カトリック大事典に次のように記されています)
すでに神のゆるしを受けた罪に対してなお与えらえている有限の苦しみ(罰)が免除されることをいう。「贖宥(しょくゆう)」とも訳される。
1 現代の教会において
*現代においてカトリック教会の免償の教えを新たに基礎づけたのは、教会パウロ6世が1967年1月1日に公布した使徒憲章「免償に関する教理」です。1983年に公布された「新教会法典」992条に基づいて次のように定義されている。
*「免償は、罪科としてはすでに赦免された罪に対する有限の罰の神の前におけるゆるしであって、キリスト信者はこれをふさわしい心構えを有し、一定の条件を果たすとき、教会の介入によって獲得する。教会は救いの奉仕者として、キリスト及び諸聖人のいさおしの宝を権威をもって分配し付与する。」(992条)
*「免償は、罪のために負わされる有限の罰からの解放が部分的であるか全体的であるかによって、部分免償及び全免償とに分けられる。」(993条)
*「すべての信者は、部分免償または全免償を自己自身のために収受し、または代祷の様式で死者に付与することができる。」(994条)
*「➀教会の最高権威者のほかに免償を与えることができるのは、法によってその権限を認められる者、またはローマ教皇によってその権限を付与された者のみである。②ローマ教皇以下の権威は、免償を付与する権限を他の者に委任することはできない。ただし、使徒座によって明確にその権限を与えられた者についてはこの限りではない。」(995条)
*免償が収受できるためには、受洗者であること、破門制裁を受けていない者であること、少なくとも規定の行為の終了時に恩恵の状態にあることが必要である。
実際に免償を収受することができるためには、少なくともそれを得ようとの一般的意思を有し、付与規定に従って定められた時期に定められた方法により、命ぜられた行為を果たさなければならない。(996条)
*免償の付与及び使用に関しては、さらに教会の特別法に定められる他の規定を順守しなければならない。(997条)
2 聖徒の交わりの中で
*自分の罪を清め、神の恵みに助けられて聖となることを求めるキリスト者は、一人でいるのではありません。「神の子らのそれぞれのいのちは、キリストにおいて、キリストによって、ほかのすべてのキリスト者である兄弟姉妹のいのちに簡単すべき仕方で結ばれ、神秘的な方であるキリストの神秘隊の超自然的な一致のうちにあります。」
*聖徒の交わりのうちにある「信者たちの間には、愛の不断のきずなとあらゆる善の豊かな分かち合いとが存在します。」この感嘆すべき分かち合いの中で、ある人の聖性は、他の人の罪が周りの人々に足して引き起こす損害よりははるかに多くの周りの人々に益をもたらします。ですから、痛悔した罪びとは聖徒の交わりのおかげで、罪の結果として生じる苦しみから速やかに、効果的に解放されることができます。
*聖徒の交わりのこのような霊的善はまた、「教会の宝」とも呼ばれます。「それは世紀を重ねて積み上げられた物的財産のような宝ではなく、人類が罪から解放されて御父との交わりを持つようになるためにささげられた、主キリストの贖いと功徳とが神のもとに持つ、無尽蔵の宝です。私たちの贖い主であるキリストのうちには、その偉大な贖いの償いと功徳とがあふれるほどに存在するのです。」。
3 教会を通して神からの免償を得る
*免償は教会を通して得られます。教会はキリスト・イエスによって与えられた、つなぎ、解く権能によって、キリスト者個人の仲立ちとなり、キリストや聖人たちの功徳の宝庫を開き、罪のために受けるべき有限の苦しみ(罰)のゆるしを憐み深い御父からいただけるようにします。このようにして、教会は単にキリスト者を助けるだけではなく、敬神と償いと愛の実践を彼らに促すのです。
*聖年の免償を得るための規定
「受肉の秘義」34~39頁参照。