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マスコミの先駆者アルベリオーネ神父

81. 師イエスへの信心(パウロ家族の霊性の特徴)――マスコミの先駆者アルベリオーネ神父

 アルベリオーネ神父の霊性の中で特徴あるのは師イエスへの信心、使徒の女王聖母マリアへの信心、使徒聖パウロへの信心である。これらの信心は、アルベリオーネ神父にあっては、いずれも御聖体を基礎にして、成り立っている。そして神父はアルバには聖師イエスにささげられた聖堂、ローマには使徒の女王にささげられた聖堂、またアルバに使徒聖パウロにささげられた聖堂を建てた。聖母マリアに対する彼の信心については、この書の中でも、しばしば取り上げたので、次ぎに聖師イエスへの信心と聖パウロへの信心について述べてみたい。

 アルベリオーネ神父はアルバの神学校で霊的指導をしていたころ、神学生たちに黙想の指導をし、神父の前任者は月の第一週を守護の天使、練獄の霊魂、聖ヨゼフ、御聖体、イエスのみ心、聖母マリア、聖三位の諸信心にあてていた。アルベリオーネ神父も、この信心が有益であると認めて、この習慣を保ち続け、パウロ家を創設してからは、これをパウロ家にも導入した。もちろん、以上の諸信心の中で第一位を占めるのは師イエスへの信心である。

 パウロ家の創立当初、イエス・キリストへの信心は、イエスの聖心と御聖体に向けられていた。それに引き続いて、師とみなされるイエスへの信心が導入され始めた。それから次ぎの射祷をとなえる習慣ができた。すなわち、道・真理・生命なる師イエス、わたしたちをあわれんでください。」

 アルベリオーネ神父は、イエスへの信心の紹介にあたって、どういう師であるかを次ぎのように説明している。「師への信心は、イエス・キリストへの信心のすべての概要を述べるものである。わたしたちが師と仰ぐのは、まぐさおけの中の幼な子、ナザレの労働者、公生活中の博士、贖罪のゆえに十字架につけられた者、聖櫃の中の御聖体、人類に与えられたたまものの中に見られる愛の御心である。」

 アルベリオーネ神父は、道・真理・生命とみなされた聖師イエスへの信心を行なっていた。主イエスは御自分のことを、「わたしは道であり、真理であり、生命である」(ヨハネ14.6)と定義された。イエスが師であるならば、この定義から推論できるし、また「あなた方は、私を師と呼んでいる。それはよいことだ。なぜなら、私はそうだからである」(ヨハネ13.13)という個所から明らかである。

 アルベリオーネ神父は、イエスへの信心を、続けて次ぎのように説明している。「いろいろな霊性を研究するにあたって、すなわちベネディクト会、フランシスコ会、イエズス会、カルメル会、サレジオ会、ドメニコ会、アグスチノ会の霊性を研究する時に、いっそうはっきり現われてくるのは、それぞれの霊性に良い面があり、行きつくところは常に聖師イエスであるが、どれも特にその一面を考えている。

 真理を重視する者(聖ドメニコとその弟子たち)、愛を重視する者(聖フランシスコとその弟子たち)、道を重視する者(聖ベネディクトとその弟子たち)、二つの面を考察する者など……。しかし、それから聖パウロの研究に進むならば、彼が聖師全体を知っていたことに思いあたる。彼はキリストの生命に全く生きている。彼の教義、心、成聖、人間性および神性の奥深い神秘を探究している。彼はイエスを博士、御聖体、司祭とみる。彼はすでに定義された通り、道・真理・生命であるキリスト全体をわたしたちに紹介する。

 この視点から宗教、教義、倫理、祭儀が成り立つ。この視点の中にイエス・キリスト全体がある。この信心を通して人間は全く悟りえて、イエス・キリストのものとなる。信心は満たれ、司祭としての修道者は知恵(勉強と天的な英知)年齢(男らしさと徳)と恩恵(成聖)において完全に成長し、キリストの全き年齢に達する。キリストは人間のうちで、または人間の代わりになるまで成長する。『わたしは生きているが、も早やわたしではない。キリストこそわたしのうちに生きている』(ルカ2.52、ガラテヤ2,20参照)。この信心の中に、人間であり、神であるイエス・キリストのペルソナ(位格)へのすべての信心が集約する。」

 アルベリオーネ神父はキリスト全体の中にすべての時代、すべての場所、すべての人を見ようと望んだのである。また人びとの救霊のために、最も迅速な、最も実り多い手段をすべて使用したいと望んだ。彼はすべての人の召命のために祈り、人にも祈らせた。キリストの神秘体からはずれる者は誰もいない。すべての人は、少なくともこの神秘体の何かの役目を果たすよう召されているからである。そしてアルベリオーネ神父は、救いの源である聖師イエスを中心に置くことによってパウロ家の四つの修道会の間に精神的一致を保つように願っていた。

 そしてアルベリオーネ神父は、レオ十三世の回章(「タメトゥシ・フトゥーラ」、一九○○年一一月一日)に照らされて、道・真理・生命であるキリストの神秘と充満を、ある程度悟った。さらにパウロ家の考え、祈り、行動全体の中心にキリストを置き、「行って、すべての民を私の弟子としなさい」(マタイ28,19)という勧めに従い、道・真理・生命である師イエスを人びとに与えるためにパウロ家の人たちを全世界に派遣したのである。

・池田敏雄『マスコミの先駆者アルベリオーネ神父』1978年
現代的に一部不適切と思われる表現がありますが、当時のオリジナリティーを尊重し発行時のまま掲載しております。

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