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これってどんな種?

仕える(もてなす)という種 年間第5主日(マルコ1・29〜39)

 「おもてなし」という言葉があります。『あの花が咲く丘で君と会えたら』という映画を観たのですが、現代の女子高生である百合が戦時下にタイムスリップしてお世話になる「鶴食堂」の女将さんの鶴さんが、店に出入りする特攻隊員をもてなす場面があります。鶴さんは、命令を受けて飛び立つと帰ることができないという思いに押しつぶされそうな若者に、自分の着物と交換した米や野菜などで彼らをもてなしていました。百合は、「どうしてそこまでして彼らをもてなすのか」と鶴さんに聞くのですが、鶴さんは「私は、二度と帰って来られない彼らに心を込めてもてなしたいの」と答えます。私たちは、彼女のような【もてなす】心を大切にしていきたいですね。

 きょうのみことばは、イエス様がシモンの姑の病を癒し、また、多くの人々の病や悪霊を追い出す場面です。イエス様と弟子たちは、カファルナウムの会堂で教え、そして、悪霊に取り憑かれた人を癒やされました。その後、シモンとアンデレの家に行きます。みことばは、「それから一行は会堂を出て、まっすぐシモンとアンデレの家に行った」とあります。実際、会堂とシモンの家は、目と鼻の先と言ってもいいほどの距離でしたから、【まっすぐ】とあるのは、本当に「まっすぐ」だったのかもしれません。

 イエス様の弟子に召されたヤコブとヨハネもイエス様たちと一緒に、シモンの家に入っていきます。ところが、シモンの姑が熱を出して床に就いていたので、彼らは、彼女のことをイエス様に知らせます。みことばには、「イエスは近寄り、手をとって起き上がらせた」とあります。イエス様は、彼女の所に行かれ、身をかがめられて、彼女の肩に手を回され、そして彼女を抱き抱えるようにして起こされたのではないでしょうか。

 イエス様は彼女の体温を感じられ、彼女もイエス様の体温を感じたことでしょう。彼女は、自分の熱が下がったのを感じます。もし、彼女が病に臥していなかったなら、安息日に他の人たちと同じように会堂に行っていたのですが、彼女は会堂に行くことができず、イエス様の教えや悪霊が癒やされた奇跡も見ることができませんでした。しかし、彼女は、直接自分自身をイエス様によって癒やされる、という体験をすることができたのです。ここに、イエス様のアガペの愛があるのではないでしょうか。

 イエス様に癒やされた彼女は、イエス様や弟子たちを【もてなし】ます。これは、彼女がイエス様に癒やされたことへの感謝の表れだけではなく、何かそうせずにはいられない気持ちに駆られたからなのでしょう。【もてなす】というのは、ただ単に「給仕」をするだけでなく、【仕える】という意味もあるようで、「弟子たちの姿」と言ってもいいのです。

 夕方になり日が沈むと、人々は、病人や悪霊に憑かれた者をみな、イエス様の所に連れて来ます。ちょうどこの日は、安息日だったので人々は、ユダヤ人の律法に従って働くことができませんでした。ですから、人々は、安息日が終わった夕方にイエス様の所に集まって来たのです。彼らは、イエス様が会堂でなさった奇跡を見て、自分たちの身近にいる、病人や悪霊に取り憑かれた人を助けたい、という気持ちに駆られていたのだと思うのです。イエス様の愛、イエス様の教えに触れた人は、人のために何かをしてあげたい、という気持ちになるのでしょう。これも、一つの【仕える】姿と言えるのではないでしょうか。

 イエス様は、祈るために朝早く、まだ暗いうちに起きて、人里離れた所に出かけられます。イエス様は、人々に教え、そして、病人や悪霊に取り憑かれた人を癒すだけではなく、おん父に祈る時を持たれておられます。この【祈りの時】というのは、私たちにとっても大切な【時】なのです。私たちは、福音を宣べ伝えるという使命をいただいていますが、それは、【活動】することだけではなく、それと同じくらい【祈りの時】も大切にしなければならないのです。なぜなら、私たちは、【活動】に必要な活力を【祈りの時】によって補わなければ十分にみことばを伝えることができないからです。

 シモンと仲間たちは、イエス様を捜しに行き、見つけ出して「みんながあなたを捜しております」と伝えます。イエス様は、彼らに「一緒に近くのほかの町や村に行こう。わたしはそこでも宣べ伝えなければならない。わたしはそのために出てきたのである」と言われます。イエス様は、おん父から「神の福音を宣べ伝える」(マルコ1・14参照)という使命をいただいています。それは、言い換えますと、「おん父に【仕える】」ということなのです。

 イエス様は、私たちに【仕える】ために来られたと同時に、おん父に【仕える】ために【出てきた】お方なのです。私たちは、イエス様の弟子として三位一体の神に【仕える】と同時に周りの人々に対しても【仕える(もてなす)】ことができたらいいですね。

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井手口満修道士

聖パウロ修道会。修道士。 1963年長崎に生まれ、福岡で成長する。 1977年4月4日、聖パウロ修道会に入会。 1984年3月19日、初誓願宣立。 1990年3月19日、終生誓願宣立。 現在、東京・四谷のサンパウロ本店で書籍・聖品の販売促進のかたわら、修道会では「召命担当」、「広報担当」などの使徒職に従事する。 著書『みことばの「種」を探して―御父のいつくしみにふれる―』。

  1. 宣教に出かけるという種 年間第15主日(マルコ6・7〜13)

  2. 本質を見るという種 年間第14主日(マルコ6・1〜6)

  3. 触れるという種 年間第13主日(マルコ5・21〜43)

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