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これってどんな種?

鍵を使うという種 年間第21主日(マタイ16・13〜20)

 あるラジオ番組で、「あなたは客観視できるか」という調査で、半数以上の人が「職場で自分のことを客観視できる」と答えたようです。このことは、どなたでも一度は、感じたことがあるかと思います。私たちの職場や学校、または、教会共同体の中で、人が自分のことをどのように思い、どのように見られているのだろうか、と思ったことがあるのではないでしょうか。では、私たちは、それに答えてどうすればいいのでしょうか。「周りの声に耳を傾けて、良いところは伸ばし、そうではない面は抑えていく」ということのようです。

 きょうのみことばは、ペトロがイエス様のことを「あなたは生ける神の子」と信仰告白をし、そのことにイエス様が答えてペトロに首位権を与える場面です。イエス様と弟子たちは、フィリポ・カイサリア地方に行かれます。そこで、イエス様は弟子たちに「人々は、人の子を何者だと言っているか」と尋ねられます。

 このフィリポ・カイサリア地方というのは、ガリラヤの北部にある町で交通の面でも街道が交わり、文化面でも経済面でも賑わい、異邦人たちが多く住んでいた場所のようです。そのような所で、イエス様は、「人々は、人の子のことを何者だと言っているのか」と質問されたのです。弟子たちは、「洗礼者ヨハネだと言う者もあれば、……預言者の一人だと言う者もあります」と答えます。イエス様の評判は、人々が思い思いに言ってい流洋に、異邦人が多くいる所でもいろいろな噂があったようです。

 イエス様は、弟子たちの答えを聞いて「それでは、あなた方は、わたしを何者だと言うのか」と質問されます。この質問は、私たちに向けても言われているのではないでしょうか。私たちの中でイエス様は、【どのようなお方】なのでしょう、私にとってイエス様は、【どのような存在】なのでしょう。私たちは、自分の都合や感じ方に合わせて、例えば、「優しい方、厳しい方、癒してくださる方、信仰を支えてくださる方……」と思われているのではないでしょうか。改めて私たちは、イエス様の質問である「それでは、あなた方は、わたしを何者だと言うのか」ということを深めてみるのも良いのかもしれません。

 ペトロは、弟子たちを代表して「あなたは生ける神の子、メシアです」と答えます。ペトロは、周りの人たちが今までの偉大な預言者と言っていても、イエス様がどのようなお方なのかを答えます。ペトロが言った「生ける神の子」という言葉は、周りの人々が既にこの世にいない預言者ではなく、「今、ここにおられるお方」という意味ではないでしょうか。私たちは、イエス様を新約聖書の時代のお方として思っているのではなく、【今、ここにおられる、生ける神の子】と思い、感じることが大切なのです。イエス様を遠い存在ではなく、私たちの身近な所、私たちの側におられるお方として感じることができたらいいですね。

 イエス様は、ペトロのこの答えを聞いて「……あなたは幸いである。あなたにこのことを示したのは人間ではなく、天におられるわたしの父である」と答えられます。イエス様は、どうして「あなたは幸いである」と言われたのでしょう。それは、ペトロが、おん父の声を感じて素直に答えたからではないでしょうか。別の言い方をしますと「おん父に言わされた」と言ってもいいのかもしれません。私たちは、いい意味でいつもの自分では考えられないことを口にすることがあるのではないでしょうか。あまり意識することなく、知識でもなく「ふっと頭に浮かんだこと」を口にしたことが、周りの人に良い影響を与えることができたとか、悩んでいる人の助けとなったとか、という体験をされたことでしょう。それがまさに、「おん父から言わされた」ことなのではないでしょうか。

 さらに、イエス様は「わたしもあなたに言う。あなたはペトロである。わたしはこの岩の上に、わたしの教会を建てる」と言われます。イエス様は、ここでペトロを中心にして「教会を建てる」と言われます。この【教会】とは、イエス様を信じる人の集まりと言う意味です。それは、今、私たちがイエス様のもとに集っている共同体と同じと言ってもいいでしょう。

 イエス様は「あなたに天の国の鍵を授ける。あなたが地上でつなぐことは、すべて天でもつながれ、あなたが地上で解くものは、すべて天でも解かれる」と言われます。私たちは、日常の生活の中で、家や車の鍵、人によっては、職場の鍵を持っている人もいることでしょう。当たり前のことですが鍵は、似たよう形であっても同じ形状のものでないと扉を開けることができません。ペトロがいただいた【鍵】は、教会の権威を表しているようです。ですから、イエス様は、地上の教会で「つなぐ(禁じる)こと」は、天でも「禁じられ」、「解く(許す)こと」は、天でも許されると言われているようです。イエス様は別の箇所でも「あなたたちが地上でつなぐものは……」(マタイ18・18)と今度は私たちにも言われています。私たちは、イエス様から与えられたこの【鍵】を、心からの謙遜さとアガペの愛を持って使うことができたらいいですね。

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井手口満修道士

聖パウロ修道会。修道士。 1963年長崎に生まれ、福岡で成長する。 1977年4月4日、聖パウロ修道会に入会。 1984年3月19日、初誓願宣立。 1990年3月19日、終生誓願宣立。 現在、東京・四谷のサンパウロ本店で書籍・聖品の販売促進のかたわら、修道会では「召命担当」、「広報担当」などの使徒職に従事する。 著書『みことばの「種」を探して―御父のいつくしみにふれる―』。

  1. つまずきという種 年間第26主日(マルコ9・38〜43、45、47〜48)

  2. 幼子を受け入れるという種 年間第25主日(マルコ9・30〜37)

  3. おん父のみ旨という種 年間第24主日(マルコ8・27〜35)

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