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これってどんな種?

その時を生きるという種 年間第33主日(マルコ21・24〜32)

 年末になりカレンダーが残り少なくなってきました。この時期は、1年を振り返る機会も多くなることでしょう。教会の暦も終わりになりみことばも「終末」を意識し始めます。

 きょうのみことばである13章は「小黙示」と言われ、その後半の部分でイエス様の再臨のことが描かれています。13章の最初は、エルサレムの神殿の素晴らしさに感動した弟子たちに、イエス様が「……積み上げられた石が一つも残らないまでに、すべて崩されるだろう」(マルコ13・2)と言われます。これは、イスラエルがローマから滅ぼされることを意味しているようです。弟子たちは、「これらのことはいつ起こるのですか。また、これらのことがすべて成就される時には、どんな徴がありますか。」(マルコ13・4)と質問しています。

 イエス様は、弟子たちの質問に対して「戦争」「飢饉」「弟子たちの迫害」さらに「偽(にせ)メシアたち」や「偽(にせ)預言者」が現れ、選ばれた人を惑わそうとする、と話されます。きょうのみことばのすぐ前の節でイエス様は、「だから、気をつけなさい。わたしはこれらの一切のことをあなた方に言っておく」と言われます。イエス様は、これから起こる様々な出来事を、話され弟子たちが恐れないように、惑わされないように【気をつけなさい】と言われたのではないでしょうか。

 イエス様は、「それらの日には、この苦難に続いて、太陽は暗くなり、月は光を放たず、星は天から落ち、天のもろもろの力は揺り動かされるであろう。」と言われます。実際は、エルサレムの神殿内の垂れ幕や7本の燭台に灯されたローソクが示す太陽と月とその他の惑星が壊されるという神殿の没落を表しているようです。しかし、私たちは、戦争や飢饉、また偽預言者やメシアが現れた後に、続く天変地異が起こり、さらに天体までもが崩れると聞かされた時、どのような気持ちになるでしょうか。

 これまでの歴史を振り返った時、二つの大戦があり、地震や津波も起こっています。また、戦争や飢饉で苦しむ人、難民として国を追われた人もいます。もし、イエス様が言われる「それらの日には、この苦難に続いて」という言葉を今の私たちの生活に当てはめると恐れを感じてしまいます。イエス様は、「いつ来るのか分からないことに恐れ、怯えるよりも【今】を精一杯に生きることが大切なのですよ」と私たちに伝えておられるのではいでしょうか。

 イエス様は、これらのことが起こった「その時、人の子が大いなる力と栄光を帯びて、雲に乗って来るのを人々は見るであろう。そしてその時、人の子はみ使いたちを遣わして、選ばれた者たちを地の果てから天の果てまで、四方から集めるであろう。」と言われます。イエス様は、ここで【その時】と2度も繰り返されます。これらのことは、私たちとイエス様との新たな出会いを表しているのではないでしょうか。私たちの日常では、幸いにまだ戦争、飢饉など起こっていませんが、心身の病気や老い、貧困、いじめ、トラブル、ストレスなどさまざまな問題を抱えているのではないでしょうか。そのような時に、私たちがイエス様と出会う時、イエス様のお姿は「人の子が大いなる力と栄光を帯びて、雲に乗って来る」ように感じることでしょう。

 私たちは、洗礼のお恵みを受け信仰を持って生きていますが、同時に弱さを持っています。イエス様は、私たちのそのような辛さを一緒に味わい、苦しみながら歩まれてくださるお方です。私たちは、イエス様のその【愛】に触れた時、イエス様の暖かさ、平安さを感じることができます。このことがイエス様の「大いなる力と栄光」と言ってもいいのかも知れません。そして、そのイエス様に出会った私たちは、「み使いたちから集められ」、新たな宣教(明日)へと歩む力を与えられると言ってもいいでしょう。

 イエス様は、「いちじくの木から教訓を得なさい。……これらのことが起こるのを見たなら、人の子が戸口に近づいていると知りなさい」と言われます。イスラエルでいちじくは、ぶどうと同じように身近な果物です。ですから、人々はいちじくの成長を見ながら四季を感じていたのでしょう。イエス様は、人々がそれらの四季を感じるように「自分を含め周りにも敏感になりなさい」と言われているのではないでしょうか。イエス様は、戸口に近づき、私たちが心の扉を開けるのを待っておられるのです。

 イエス様は、「天地は過ぎ去る。しかし、わたしの言葉は過ぎ去らない」と言われます。この言葉は、私たちに希望と力を与えてくれることでしょう。私たちは、みことばによって勇気を得、安心し、希望を持って歩むことができますし、人にも優しくすることができます。「沢山の苦しみを知っているから、人に優しくできる」という言葉を耳にしたことがありますが、信仰をいただいている私たちは、苦しみの後にイエス様に出会ったから人に優しくできる(福音を伝える)のではないでしょうか。一年を振り返りながら改めて、イエス様との出会いを味わってみることができたらいいですね。

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井手口満修道士

聖パウロ修道会。修道士。 1963年長崎に生まれ、福岡で成長する。 1977年4月4日、聖パウロ修道会に入会。 1984年3月19日、初誓願宣立。 1990年3月19日、終生誓願宣立。 現在、東京・四谷のサンパウロ本店で書籍・聖品の販売促進のかたわら、修道会では「召命担当」、「広報担当」などの使徒職に従事する。 著書『みことばの「種」を探して―御父のいつくしみにふれる―』。

  1. 宣教に出かけるという種 年間第15主日(マルコ6・7〜13)

  2. 本質を見るという種 年間第14主日(マルコ6・1〜6)

  3. 触れるという種 年間第13主日(マルコ5・21〜43)

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