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みことばの響き

みなしご 復活節第6主日(ヨハネ14・15~21)

 「わたしは、あなたがたをみなしごにはしておかない」(14・19)とイエスは語ります。「みなしご」には原文では「アルファノス」という言葉が使われ、「①親を亡くした子ども、②保護者、後見人を亡くした人」を意味します。特に②では「人」とあるように、単に子どもだけでなく、人一般を示すものです。フランシスコ会訳聖書の注解には、「友のない孤独な人」と記されています。日本語で「みなしご」というと、子どもだけに限定しがちですが、実際にはそうではありません。

 最近、スマホが普及しとても便利になりました。急用などの時には連絡をつけることができます。その反面、その依存症になり、いつでもつながっていないと不安な人たちもたくさんいます。その根底には孤独が潜んでいるかもしれません。大学の先生がこんなことを言っていました。「一時期、大学で話していると授業中におしゃべりが多かった。最近はシーンとしている。でもよく見ていると、スマホでメールのやりとりをしている」と。確かにおしゃべりは減ったかもしれませんが、手段を違えた形でいつでもつながっていないと不安に駆られる学生たちの心情があるのかもしれません。

 「あなたがたをみなしごにはしておかない」。ここには「あなたたちを孤独にはさせないよ」というイエスの思いが込められているように感じます。そのために「真理の霊」の派遣を主は約束します。「弁護者」「助け主」を送ることで私たちを助けてくれるものです。

 また今日の箇所には「わたし」(エゴ)がよく使われています。いつもよりも強調した表現です。「わたしは父にお願いしよう」「かの日にはわたしが父のうちにおり」「わたしもその人を愛して」と。イエスが御父に願う。イエスが御父のうちにいる。イエスもイエスを愛する人を愛する。「わたし」という強調を通して、他の箇所には見られないイエスとの深いつながりがあります。まさに御父と御子とのかかわり、御子と聖霊とのつながり。聖霊の派遣、私たちを孤独にはさせないイエスの思いやりを感じます。

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