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カトリック入門

【カトリック入門】第111回 マザー・テレサ【動画で学ぶ】※レジュメ字幕付き

1910年、旧ユーゴスラビア、マケドニアのスコピエに生まれる。両親はアルバニア系の熱心なカトリック信者。
1928年、インドに宣教者を送っているアイルランドのロレッタ修道院に入会委。インドのダージリンの修練院に派遣される。
1931年、ロレッタ修道会のシスターとして初誓願を宣立。修道名はテレサ。
カルカッタ(コルカタ)にあるロレッタ修道会経営のセントメリー高等学校に赴任する。地理と歴史を教え、のちに校長を務めた。
1946年、黙想のためにダージリンへ向かう列車の中で「神の召命」を受け、修道会を出て、貧しい人々の中に入ることを決意する。
1948年、シスターのまま修道院外で働く許可を得る。
スラム街に最初の学校を開く。
1950年、貧しい中の最も貧しい人に仕える修道会「神の愛の宣教者会」を設立。総長に就任して、「マザー・テレサ」と呼ばれるようになる。
1952年、行き倒れた人々を収容する施設「死を待つ人の家」を開設する。
1955年、孤児のための施設「聖なる子供の家」を開設する。
1957年、ハンセン病の巡回診療を開始する。
1965年2月、神の愛の宣教者たちは教皇認可の会となった。またインド国外での最初の修道院をベネズエラに開設する。
1967年、コロンボに修道院が開設される。1968年、タンザニアに修道院が開設される。またローマのスラム街にも…。
1968年、西ベンガル州にハンセン病患者のコミューン「平和の村」を開設する。
1975年、学校・病院・作業所を持つ複合センター「プレム・ダム」を開設する。
1979年、ノーベル平和賞を受賞する。サリーとサンダルの粗末な身なりで出席。賞金の19万2000ドルはコルカタの貧しい人のために使った。
1981年、1982年、二年連続して来日し、各地で講演を行う。
1984年、三度目の来日。
1989年、パースメーカーをつけた。
1990年、マザー・テレサは、健康状態を理由に総長の辞任を申し出たが、会員たちの強い希望により、再び総長に選ばれた。
1993年9月、コルカタで心臓病の手術を受ける。
1997年3月、体力の限界を感じ、総長職を辞任。
1997年9月5日、コルカタの修道院で逝去。87歳。
宗派を問わずにすべての貧しい人のために働いたマザー・テレサの葬儀は、1997年9月13日、インド政府によって国葬として荘厳に行われた。葬儀には各宗教の代表者が参列した。
2003年10月19日に列福され
2016年9月4日、教皇フランシスコによって列聖された。

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