1 結婚式
*ラテン典礼では、二人のカトリック信者間の結婚式は、すべての秘跡がキリストの過越の神秘と関連していることから、普通、ミサの中で行われます。聖体祭儀では新しい契約の記念が行われますが、愛する花嫁である教会のためにご自分をお与えになったキリストは、この契約において、教会と永遠に結ばれたのです。したがって、新郎新婦が自分たちの生活を奉献して相互に与えあうという同意を、エウカリスチア(感謝の祭儀)のいけにえにおいて現在化される教会のためのキリストの自己奉献に一致させ、聖体を拝領するのは極めて適切なことです。それは二人がキリストの同じ体と同じ血をいただき、キリストにおいて「ただ一つのからだ」となるためです。
*「聖化の秘跡として、結婚式は、式自体が有効でふさわしく実り豊かなものでなければなりません」。したがって、結婚する二人がゆるしの秘跡を受けて結婚式に備えるのはふさわしいことです。
*ラテン教会の伝統では、新郎新婦が教会の前でそれぞれの同意を表すことにより、キリストの恵みの役務者として互いに結婚の秘跡を授け合います。
*さまざまな典礼様式における祝福の祈りや聖霊の働きを願う祈り(エピクレシス)の種類は豊富ですが、それは新郎新婦、特に新婦の上に神の恵みと祝福とを願うものです。この秘跡のエピクレシスで、新郎新婦はキリストと教会との愛の交わりである聖霊をいただきます。聖霊こと二人の契約の刻印であり、二人の愛の尽きない泉であり、二人の忠実を更新させる力なのです。
2 結婚の同意
*結婚の誓約の当事者は、洗礼を受けた一人の男性と一人の女性で、自由に結婚することができ、自由意志をもって同意を表す者たちです。「自由に結婚することができる」とは次のことを意味します。
・強制されていないこと。
・自然法、あるいは教会法上の結婚の障害がないこと。
*教会は新郎新婦間の同意の交換を、「結婚を成立させる」不可欠な要素とみなしています。同意がなければ結婚は成立しません。
*同意とは、「配偶者が互いに自分を与え、そして受ける人間行為」のうちに成立するものであり、それは、「わたしはあなたを妻とします」「わたしはあなたを夫とします」ということばで表されます。新郎新婦を互いに結び合わせるこの同意は、二人が「一体」となることで完成します。
*同意は、暴力または外部からの強度の恐怖によって束縛されていない当人各自の意志行為でなければなりません。いかなる人間の権力も、この同意にとって代わることはできません。もしもこの同意が自由意志で行われたものでないとすれば、結婚は無効です。
*結婚式に立ち会う司教や司祭(または助祭)は教会の代表者として二人の同意を受け止め、教会の祝福を与えます。教会の役務者(および証人たち)の隣席は、結婚が教会的出来事であることを明らかにするものです。
*そのために教会は、通常、信者が教会の儀式に従って挙式するように命じています。このような規定が定められていることには、いろいろな理由があります。
・秘跡的結婚は典礼行為です。ですから、結婚は教会の公の典礼の中で行われるのがふさわしいのです。
・結婚は人を教会での一定の身分に加入させ、教会における夫婦間の権利と義務、ならびに子どもに対する権利と義務とを授けます。
・結婚は教会の中での生活様式の一つですから、結婚についての確証がなければなりません。(そのために、証人の立ち会いが義務づけられます。)
・同意を公に表すことによって、その時の同意が支えられ、それ忠実に守るように助けられます。
*新郎新婦の同意が自由で責任あるものとなるため、また結婚の契約が人間としてまたキリスト者としての健吾で永続的な土台の上に立つためには、結婚の準備が極めて重要です。
結婚講座
*多くの国では、混宗結婚(カトリック信者と非カトリック受洗者間の結婚)が、かなり頻繁に行われています。これには、配偶者ならびに司牧者の特別な心配りが必要です。異宗結婚(カトリック信者と非キリスト者間の結婚)の場合は、いっそうの慎重さが求められます。
*配偶者のキリスト教宗派の違いは、結婚にとって克服できない障害ではありません。それは、二人がそれぞれの教会で受けたものを共有し、お互いがキリストにどのように忠実に生きるかを学ぶかによります。