書籍情報、店舗案内、神父や修道士のコラムなど。

おうち黙想

『うつ』と共に歩む待降節 第1回(全4回):「闇の中にこそ光を求める」

心の闇とベツレヘムの夜の闇を重ねて

私たちが生きる中で、心が重く、暗闇に包まれるような感覚を持つことがあります。特に、うつを抱えている時、その闇は一層深く、息苦しさや孤独、希望の見えないトンネルの中にいるように感じられるものです。心の闇は、時に自分を押しつぶし、日々の生活すら困難にしてしまいます。しかし、待降節のこの時期、私たちはこの闇を単なる不幸や絶望の象徴としてではなく、神が新しい光を生み出す場として見つめ直すことができます。

待降節は、イエス・キリストの降誕を待ち望む時期であり、光と希望が到来する準備をする期間です。しかし、この「光」と「希望」は、何の障害もなくただ訪れるものではありません。それらは、私たちが抱える闇や失望、混乱と深く結びついているのです。特に、うつの中で苦しむ方々にとって、この待降節は、闇の中でどのように光を待ち望むのかを考え、体験する時です。そのために、心の闇と、イエスが生まれたベツレヘムの夜の闇を重ねて黙想してみましょう。

1. ベツレヘムの夜の闇

イエス・キリストが生まれたのは、寒く、暗いベツレヘムの夜でした。聖書によれば、マリアとヨセフは宿を見つけることができず、イエスは馬小屋で生まれました。街中が暗く静まり返り、世間の喧騒から遠ざかった場所で、神の御子が誕生したのです。この場面は、物理的な闇だけでなく、当時の社会や人々の心の闇、絶望を象徴しています。ユダヤの民はローマ帝国の支配下で苦しみ、貧困や不安に悩まされ、救いを待ち望んでいました。しかし、その希望の光がどこから来るのか、誰もわからなかったのです。

この暗闇の中で、神は働かれました。ベツレヘムの小さな馬小屋という、誰も期待しなかった場所で、救い主が誕生したのです。まさにこの出来事が示しているのは、神は闇の中で働き、混沌の中から新しい光を生み出す存在であるということです。これは創世記の天地創造の物語にも通じます。「地は混沌として闇が深淵の上にあった」(創世記1:2)とあるように、神は闇の中で秩序と光を生み出されたのです。私たちの心の中にある闇もまた、神が働きかけ、新しい光を生み出す可能性を秘めています。

2. 心の闇とベツレヘムの夜

うつを抱える時、私たちは自分の中に深い闇を感じます。それは言葉にできない不安や悲しみ、無力感、時には孤独にさいなまれる苦しい体験です。どんなに周囲が明るくても、自分の内側は暗く沈んでいるように感じることがあります。この暗闇に飲み込まれる時、私たちは希望を見失い、自分自身の存在すら価値を見出せなくなることがあるでしょう。誰かに助けを求めたいけれど、それができない、言葉にならない、周囲からの支えすら受け入れることが難しいという状況に陥ることもあるかもしれません。

この心の闇は、ベツレヘムの夜の闇と重なります。イエスが生まれたその夜も、誰もが救いを待ち望んでいたにもかかわらず、希望の到来に気づく者はほとんどいませんでした。街の人々は普段の生活を送り、ただ日常を過ごしていました。しかし、闇の中で神は静かに働かれ、救い主が誕生したのです。この出来事が示しているのは、私たちが最も孤独で絶望を感じる時、見えないところで神が働き、新しい光をもたらそうとしているということです。闇はただの絶望ではなく、光が差し込む前の準備の時であるとも言えます。

3. 闇の中で神が働く

うつの中にいる時、私たちは闇を恐れるかもしれません。光が見えないと感じる時、何もかもが無意味に思えることもあります。しかし、創世記やベツレヘムの夜の出来事が示しているのは、神はその闇の中で働いているということです。神は私たちが見えない、感じられない中で、静かに新しい秩序を生み出そうとしているのです。このことを信じることができるなら、闇の中で過ごす時間もまた、意味を持つのではないでしょうか。

闇があるからこそ、光が際立つのです。ベツレヘムの夜に生まれたイエスの光は、暗闇の中でこそその力を発揮しました。うつを抱える私たちの心の中でも、神はそのように静かに働かれています。私たちが感じる苦しみや孤独を無視せず、それを見つめ、神がそこにともにいると信じることで、闇の中で小さな光を見つけることができるかもしれません。

4. 待降節の闇を抱きしめる

待降節は、闇を否定するのではなく、その中で希望の光を待つ時間です。私たちは闇を避けるのではなく、その中に神が働いておられることを信じていくのです。もし今、心が暗闇に覆われていると感じるなら、その闇を神に差し出し、祈ることができます。「神よ、この暗闇の中で私は何も見えません。しかし、あなたがともにいてくださると信じ、光を待ち望みます」と。神は私たちの祈りに耳を傾け、静かに働きかけてくださいます。闇の中で見えない希望を信じること、それが待降節の黙想の意味なのです。

うつを抱える時、私たちは何もかもが無意味に感じ、孤独に打ちひしがれることがあります。しかし、闇の中でこそ神の光が生まれることを信じ、待ち続けることができるのです。ベツレヘムの夜がそうであったように、私たちの心の闇の中にも、神は新しい光をもたらそうとしています。

5. 黙想の具体的な方法

待降節の期間中、闇の中で光を見つけるための黙想を行いましょう。次のような時間を設けてみてください。

1. 静かな場所を見つけて座る
静かで落ち着ける場所を選び、目を閉じて深呼吸をします。ゆっくりと息を吸い、吐きながら、心の中の闇を感じてみます。恐れや悲しみがあれば、その感情を無理に消そうとせず、ただそのまま受け入れます。
2. 闇を神に差し出す
自分の中にある不安や悲しみ、絶望を神に差し出す時間を持ちます。「神よ、この暗闇をあなたに捧げます。私の心にあなたの光を与えてください」と静かに祈ります。祈りの言葉は長くなくても構いません。心の中の叫びをそのまま神に伝えることが大切です。
3. 沈黙の中で待つ
祈りの後、何も求めず、ただ沈黙の中で神の働きを待ちます。神が今すぐに答えてくださらないかもしれませんが、沈黙の中でともにいてくださることを感じることができるでしょう。

6. 光を見出す力を求めて

うつを抱える時、私たちは何もかもが暗く、未来に希望を見出せないように感じます。しかし、ベツレヘムの夜に生まれた光を思い出してください。その光は、闇の中でひっそりと輝きました。私たちの心の中でも同じです。神は静かに、しかし確かに働かれ、新しい光をもたらそうとしておられます。待降節の期間、闇の中で光を待ち望む心を持ち続けましょう。

この黙想を通じて、私たちが心の闇を抱きしめつつ、新しい希望を見出すことができるよう祈ります。神はどんな闇の中でも私たちとともにおられ、光をもたらしてくださるのです。次回は「孤独を通して深くつながる」というテーマで、さらにこの黙想を深めていきましょう。 

RELATED

PAGE TOP