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みことばの響き

救いへの道 年間第21主日(ルカ13・22~30)

 洗礼は大きな恵みですが、それが天国への切符の確約ではありません。毎日の努力が必要であることを今日のみことばは教えてくれます。

 人間的に見て、神様に近い人とはどんな人でしょうか。真面目にやっている人、掟もきちんと守っている人、社会的にも立派な人、品行方正な人などを挙げることができるでしょう。人間的に見て立派な人が救いの道に近いかと言えば、必ずしもそうでもないような感じがします。今日のみことばは、そういう方々に対してはとても厳しい見方をしていつのではないでしょうか。

 品行方正な多くの人々は言うでしょう。「御一緒に食べたり飲んだりしましたし、また、わたしたちの広場でお教えを受けたのです」(ルカ13・26)と。一緒に食べたり飲んだりしたということは、他の人よりも自分がイエスと親しいし、優れた者であることをアピールしているのでしょう。また「広場で教えを聞いた」ということは、他の誰よりもイエスの教えを聞いて自分が選ばれた者であるとのエリート意識があるのではないでしょうか。たくさんの恵みを受け、立派で、人々からうらやましがられるほどです。でも主人の答えはとても厳しいものです。「お前たちがどこの者か知らない。不義を行う者ども、皆わたしから立ち去れ」と。人間の目から立派に見えても、神様の目からはとても厳しく映ることばです。

 ではどうしたら救いへ到達できるのでしょうか。イエスは語ります。「狭い戸口から入るように努めなさい」と。別の言い方をすれば、「狭い門から入りなさい」と。大学入試の場合でも「狭き門」という表現を使ったりします。今日のみことばは、人間的な成績ではなく、神の目から見た救いへの道を私たちに教えてくれます。

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