序)第五の掟は、直接的で意図的な殺人を重大な罪として禁じています。安楽死や自殺についてどのように考えるでしょうか。
1 安楽死
*生命力が減退したり衰弱したりした人々に対しては、特別な心遣いをする必要があります。病人や障がい者ができる限り通常の生活ができるように支援しなければなりません。
*障がい者や病人、あるいは瀕死などのいのちに終止符を打たせる直接的な安楽死は、動機や手段のいかんを問わず、倫理的に容認できません。
したがって、苦しみを除去するために死に至らせる行為、あるいは何もしないで放置しておくことは、その行為自体あるいは意向のゆえに、人間の尊厳ならびにその創造主である生きておられる神への崇敬に反する重大な殺人行為となります。たとえ善意によって判断を誤ったにしても、それが殺人行為であることには変わりがなく、常に禁じられ、拒否されるべき行為なのです。
*負担が重かったり、危険であったり、特別なものであったり、期待される結果に釣り合わないものであったりするような医療措置の停止は、ゆるされる場合があります。これは「過度の延命措置」を拒絶することです。それは、死なせることを意図するものではなく、死を防ぐことはできないということを認めることです。そのことについての決定は、もし意志能力があるならば、患者本人によって、それができない場合は、常に患者の合理的な意志と正当な利益とを尊重しながら、本人の後見人によってなされるべきです。
*死が差し迫っていると考えられる場合にも、病人に通常行われなければならない看護が中断されることはゆるされません。危篤の病人の苦しみを緩和するために鎮痛剤を使用するのは、たとえ寿命を縮める恐れがあっても、倫理的には人間の尊厳にかなう場合があります。それは、死は目的としても手段としても望まれておらず、ただ避けがたいものとして予知され、受け止められている場合だけのことです。ターミナル・ケアは無私の愛の特別な形であって、勧められるべきものです。
2 自殺
*一人ひとりの人間は神から授けられた自分のいのちについての責任を神のみ前にもっています。神こそ、常にいのちの至高の主です。私たちはこれを感謝していただき、神の誉と私たちの救霊のために維持しなければなりません。私たちは神が委ねてくださったいのちの管理者であって、所有主ではありません。それを自分の意のままにはできないのです。
*自殺は、自らのいのちを守り維持しようとする人間の自然の傾きとは相反するものです。それは正しい自己愛とはまったく正反対のものです。また、隣人愛にも背くものです。わたしたちは家族・国民・人類社会に対する義務を負っていますが、自殺はこの連帯の絆を不当に破るものだからです。自殺は生ける神への愛とは正反対のものです。
*模範を示す目的で、特に若者に示すという目的で行われる自殺は、重大なつまずきの罪を加えることになります。自由意志をもって他人の自殺に協力することは道徳律に背きます。激しい精神的混乱や、試練や苦しみ、あるいは拷問などについての極度の恐れなどは、自殺の責めを軽減することがありえます。
*自殺した人々の永遠の救いについて、絶望してはなりません。神はご自分だけが知っておられる方法によって、救いに必要な悔い改めの機会を与えることがおできになるからです。教会は自殺した人々のためにも祈ります。
