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これってどんな種?

イエス様の愛を知らせるという種 年間第4主日(マルコ1・21〜28)

 最近、電車の中でほとんどの人が、スマートフォンを扱っている光景をよく目にします。もちろん、電車の中に限らず、喫茶店や待合室、街中でもスマーフォンを使っている人がいます。それと、同時にSNSなどでいろいろな情報を共有してフォロワーの数をいかに伸ばすかを気にしている人もいます。このSNSは、瞬く間に多くに人に広まって「いいね」や「シェア」や「リツイート」することで拡散され多くに人の目に留まってしまいます。もし、新約の時代にSNSがあったらイエス様のことが全世界に広まったことでしょう。

 きょうのみことばは、イエス様が汚れた霊に憑かれた人を癒やされる場面です。イエス様は、ガリラヤ湖でご自分の弟子を召され、彼らと一緒にカファルナウムの会堂に入られます。みことばは「一行はカファルナウムに着いた。早速、イエスは安息日に会堂に入って教えられたが……」と始まっています。

 イエス様の目的は、【早速】とありますように、「会堂に入って教えること」でした。会堂は、ユダヤ人たちにとって自分たちの信仰を深める場所でした。ここで、律法学者から教えを受け、礼拝し、さまざまな宗教的な行事をおこなっていました。そして、自分たちの信仰生活を豊かにし、日常の生活に活かす所です。今で言う、私たちの【教会】のような機能を果たしていました。

 会堂にいた人々は、イエス様の教えが今までの律法学者の教えと違って、権威ある者の教え方に【非常に驚き】ます。律法学者は、律法のことを研究しそれを人々に教えていました。しかし、イエス様は、おん父の子として直接話ことがおできになられたのです。ですから、人々がイエス様の教えを聞き、その権威ある教えに驚いたというのは、イエス様からおん父の力が満ち溢れていたからではないでしょうか。

 イエス様が人々に、おん父のみことばを伝えていた時に、汚れた霊に憑かれた人が会堂に居合わせていました。このことは、偶然なのでしょうか、それとも、普段でも汚れた霊に憑かれた人が会堂に居て、律法学者の教えを聞いていたのでしょうか。もしかしたら、自分の中にいる【汚れた霊】に悩まされ、精神的にも肉体的にも疲れ、何とかして苦しみから「解放して欲しい」と思って会堂に通っていたのかもしれません。

 汚れた霊に憑かれた人は、「ナザレのイエス、わたしをどうしようというのですか。あなたはわたしたちを滅ぼすために来られたのですか。……」と叫び始めます。この人は、イエス様の権威ある教えに敏感に反応し、自分の中にある「汚れた部分」があばかれないように、また、「居心地がいい場所」を奪われないように叫び始めます。みことばの中にある「わたしをどうしようというのですか」という言葉は、「相手の干渉を拒絶する言葉」として用いられ、私たちが言うとしたら「もう、私のことなどほっといてください。あなたとは関係がないことでしょう」となるのでしょう。私たちもこのようなことを思うことがあるのではないでしょうか。しかし、イエス様は、そんな私たちのことを放っておくことがおできにならないのです。

 汚れた霊に憑かれた人は、イエス様が誰であるのか、そして、その目的が何であるのかを知っていました。それで、自分を守ろうとしたのです。ここで、目に留めるのは、最初は、「わたしをどうしようというのですか」というように、【単数形】だけでしたが、その後に「あなたはわたしたちを滅ぼすために来られたのですか」と【複数形】になっています。このことは、汚れた霊に憑かれた人が、「神の聖なる方」であるイエス様が、「汚れた霊」すべてを滅ぼすために来られたこと知っていたのでしょう。イエス様は、この世界のすべての「汚れた霊」を滅ぼし、私たちがおん父のもとへ近づくようにされているのです。

 イエス様は、「黙れ、この人から出ていけ」と叱られます。汚れた霊は、その人をけいれんさせ、大声をあげて出ていきます。このことは、私たちが「悪」を手放すことの苦しみ、エゴからの解放の困難さを表しているのかもしれません。イエス様の声は私たちに厳しく響きます。しかし、それは、私たちを苦しみから解放するためですし、おん父の方に向かわせるために必要な厳しさと言ってもいいでしょう。

 人々は、イエス様が汚れた霊に憑かれた人を癒やされるのを見て、ますます驚き「実に権威ある新しい教えではないか。」と言って、イエス様の評判は、瞬く間にガリラヤ付近の全地域に広まります。もし、今の時代でしたら、イエス様が汚れた霊を追い出す場面をSNSで拡散したことでしょう。

 私たちは、奇跡や物事に目を奪われてしまいがちですが、大切なことはイエス様が私たちの苦しみを癒され、おん父の方に向けさせてくださるという【アガペの愛】を感じることなのです。私たちは、イエス様の【評判】だけではなくイエス様の【愛】を人々に伝えることができたらいいですね。

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