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カトリック入門

【カトリック入門】第107回 教皇ヨハネ・パウロ2世【動画で学ぶ】※レジュメ字幕付き

*1920年5月18日、ポーランドのクラクフから50km離れたワドウィッチに生まれる。本名は、カロル・ヨセフ・ヴォイティワ。父は退役軍人だった。
*1929年に初聖体、1938年(17歳)に堅信を受ける。
 1938年にクラクフのヤギエウォ大学に入学し、ポーランド文学を専攻した。
 1939年、ポーランドに侵攻してきたナチスにより大学が閉鎖となった。
*1940年~1944年、石切り場、後に化学工場で生活の糧を得る。
 1942年、地下神学校でクラクフ教区神学生として勉強を始める。
*1945年~1946年11月、クラクフ大神学校が再開し、勉強をつづけ、同時にヤギエウォ大学神学部で学ぶ。
*1946年11月1日、司祭に叙階された。
 サピエハ枢機卿により、ローマに派遣された。教皇庁立アンジェリクム大学に入学し、倫理神学を学ぶ。フランス、ベルギー、オランダの各地のポーランド人への司牧を行う。
 1948年、神学博士号を取得した。十字架の聖ヨハネの著作に関する論文。
*1948年~1951年、ポーランドに帰国し、クラクフの助任司祭として働き、大学生の指導司祭として活躍。哲学と神学を深める。
*1953年、マックス・シェーラーの倫理についての論文を提出した(ルブリン・カトリック大学)。クラクフの大神学校・ルブリン大学の神学部教授(倫理神学・社会倫理)となった。
*1958年7月4日、クラクフの補佐司教に任命された。(教皇ピオ12世によって)9月28日、バズィアック大司教によって司教に叙階された。(クラクフ大聖堂)。
*1964年1月13日、教皇パウロ6世によって、クラクフ大司教に任命され、3月8日に着座。
*1967年6月26日、教皇パウロ6世によって、枢機卿に親任された。第二バチカン公会議においては、「現代世界憲章」の起草に貢献した。また世界代表司教会議に出席。
 ポーランドのヴィシンスキー枢機卿と共に、ポーランド共産党による弾圧に抵抗した。
*1978年10月16日、第264代教皇に選出され、「ヨハネ・パウロ二世」と名乗った。10月22日に教皇就任式。
*1981年2月23日~26日、日本を訪問し、東京、広島、長崎を訪れた。
 特に広島での平和アピールは感銘を与えた。
 「戦争は人間のしわざです。戦争は人間の生命を奪います。戦争は死そのものです。」
 「過去を振り返ることは将来に対する責任をになうことです。」
*2003年10月16日、教皇在位25周年を祝う。この時点で、教皇在位期間としては、聖ペトロ(正確な年代は不詳)、ピオ9世(在位1846年~1878年:31年7か月17日)、レオ13世(1878年~1903年:25年4か月17日)に次いで4番目となった。その後、2004年3月14日にレオ13世を超えて3番目となった。
*2004年4月2日に逝去。

★26年間で全世界の4200人近くの司教のうち3500人以上を任命した。2005年4月までに14の回勅、15の使徒的勧告、11の使徒憲章、45の使徒的書簡、28の自発教令、数百に及ぶメッセージと手紙を発表した。
★15のシノドス(世界代表司教会議)を開催し、うち通常総会6回、臨時総会1回、特別総会8回。
★2004年8月のルルド訪問に至るまで、104回のイタリア国外訪問を行い、146回の国内巡礼を行った。
★教皇就任時、国交を持っていたのは85か国だったが、最後には174か国となっている。
★26年間で列福した福者は1338名、列聖した聖人は482名。

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