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おうち黙想

第2回 黙想講話:ヴィトン/モノグラム ――「同行」の神学 〜シランス・オートクチュール:ハイブランドで学ぶイエス・キリストの着こなしかた〜

1. 傷跡を誇るキャンバス

 ルイ・ヴィトンの象徴である「モノグラム・キャンバス」は、一見すると繊細な模様に見えますが、その実体はきわめて堅牢な綿素材にビニールコーティング(PVC)を施したものです。それは、繊細な美しさを競うラグジュアリーの定義を覆すような「タフさ」を持っています。
 ヴィトンの鞄は、持ち主が優雅にティータイムを楽しむためだけにあるのではありません。かつては蒸気船の甲板に積み上げられ、雨風にさらされ、国境を越える逃走劇や、生活を懸けた長旅に同行してきました。引きずられ、濡れ、擦り切れること。それはヴィトンの鞄にとって「失敗」ではなく、むしろその存在理由(レゾンデートル)の成就です。
 ここに、私たちの信仰の大きな勘違いを正す鍵があります。私たちはしばしば、自分の人生が「きれいに整ってから」神の前に出ようとします。あるいは、信仰を持てば人生から傷や汚れが消えると考えがちです。しかし、モノグラムが教えるのはその逆です。「人生が荒れることを、最初から織り込んでいる」。その強さこそが、福音の真髄なのかもしれません。

2. 「不完全な者」たちのパレード

 聖書を注意深く読むと、そこに登場する主人公たちの多くが、決して「きれいな人生」を送っていないことに気づかされます。
 ヤコブは、祝福を求めて兄や父を欺くことも厭わない、危うい渇望を抱えた策士でした。 モーセは、カッとなって人を殺めた過去を持つ逃亡者でした。 ペトロは、決定的な瞬間に師を裏切り、逃げ出した弱さを持つ男でした。
 神は、彼らが立派な聖人君子に「改善」されてから、彼らを選んだのではありません。むしろ、彼らが逃げ惑い、泥にまみれ、人生の荒波に揉まれているその最中に、すでに彼らと共に歩むことを決めておられました。
 ヴィトンの鞄が、ボロボロになり、ヌメ革が飴色を通り越して黒ずんでもなお、その機能(運ぶこと)を捨てないように、神もまた、私たちの人生がどれほど醜く歪んだとしても、私たちを「運ぶ」ことをお止めになりません。神学とは、完璧な人間が天に昇る物語ではなく、壊れた人間を神が背負って歩く、泥臭い「同行」の記録なのです。

3. 「救い」よりも先に「同行」がある

 私たちはつい、「救い」を「解決」や「修正」と同じ意味で使ってしまいます。病気が治ること、借金がなくなること、性格が良くなること。もちろん、それらも救いの一端かもしれません。しかし、ヴィトンの哲学が示すのは、もっと深い次元の救いです。
 「人生を良くできるかどうかではない。人生が良くならなくても、離れないでいられるかどうかだ。」
 これは衝撃的な問いかけです。もし、あなたの苦難が明日終わらなかったとしても、それでも神が隣に座っておられるとしたら、それは「救い」と呼べるでしょうか。
 福音書に記された「放蕩息子のたとえ」を見てみましょう。父親は、帰ってきた息子が「反省したかどうか」を確認する前に、駆け寄ってその首を抱きました。息子はまだ汚れ、豚の餌の臭いが染み付いた状態でした。父親はまず「同行」を再開したのです。汚れを落とす前に、まず抱きしめる。この「順序の逆転」こそが、ヴィトンの鞄が汚れを厭わずに旅に付き添う姿勢と共鳴します。

4. モノグラムという「隠さない印」

 ヴィトンのモノグラムは、あまりにも有名で、あまりにも可視的です。遠くから見ても「あ、ヴィトンだ」と分かります。この過剰なまでの主張は、信仰における「証し」のメタファーとなります。
 私たちが「神と共に歩んでいる」という事実は、私たちが立派になったから証明されるのではありません。むしろ、私たちがボロボロになってもなお、そこに「変わらない同行者(神)」の印が見えることによって証明されます。
 人生という旅路において、私たちは何度も国境を越え、時には大切なものを失い、自分自身を見失います。しかし、その傍らには、私たちを乗せて運ぶ器があります。あなたがどれほど自分を「もう価値がない」と卑下しても、神という器はあなたを離しません。モノグラムの模様は、暗闇の中でも、荒れ野の中でも、「それでも私はここにいる」という神の沈黙の叫びとして、私たちの身体に刻まれているのです。

5. 黙想の終わりに

 あなたの人生の鞄は、いま、どんな状態でしょうか。新品のようにピカピカでしょうか。それとも、あちこちが擦り切れ、人に見せるのが恥ずかしいほど汚れているでしょうか。
 もし、後者であるなら、喜んでください。ヴィトンの鞄が使い込まれるほどに「旅の記憶」を刻み、深みを増していくように、あなたの人生の傷跡は、神があなたを見捨てずに同行し続けたという、何よりの証拠なのです。
 神は、あなたを「直す」ために来たのではありません。あなたと「一緒にいる」ために来られたのです。その圧倒的な肯定感の中で、今日という一歩を踏み出してみましょう。

【黙想のための問い】
あなたの過去の「傷跡」や「失敗」の中で、今振り返ると「あの時も神は共にいてくれたのだ」と思える出来事はありますか。

※補足:モノグラム・キャンバスについて 1896年に誕生したこの素材は、エジプト綿のキャンバス地に特殊な塗料をコーティングしたものです。当時主流だった革製のトランクよりも軽く、防水性に優れ、真贋を見分けるための複雑な模様としてモノグラムが考案されました。

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カトリック司祭。愛媛県松山市出身の末っ子。子供の頃から“甘え上手”を武器に、電車や飛行機の座席は常に窓際をキープ。焼肉では自分で肉を焼いたことがなく、釣りに行けばお兄ちゃんが餌をつけてくれるのが当たり前。そんな末っ子魂を持ちながら、神の道を歩む毎日。趣味はメダカの世話。祈りと奉仕を大切にしつつ、神の愛を受け取り、メダカたちにも愛を注ぐ日々を楽しんでいる。

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