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おうち黙想

第3回「フランシスコは、“役に立つ人”であることをやめた」〜聖フランシスコ年黙想講話〜

今回のポイント
 第3回は、奉仕者ほど抱えやすい「機能や成果で自分の価値を証明しなければ」という呪縛をほどきます。フランシスコの後半生は、組織が大きくなるほど実権を手放し、病や弱りによって“役に立たなくなる”方向へ進みましたが、そこでこそ神に近い輝きが現れた、と捉えます。
 燃え尽きの深層には「役に立たなくなったら、必要とされないのでは」という不安が潜みます。神が求めているのはサービスや成果ではなく「あなた自身」であり、無力の場所こそ神が直接働く余白になります。「ただ愛されている子ども」に戻る“降伏”が、奉仕を義務から解放し、より真実の奉仕へ導くという筋立てです。

1. 「役に立たなければならない」という呪縛

 新緑が眩しい季節、私たちは「さあ、活動のシーズンだ」と身構えるかもしれません。しかし、教会や福祉の現場で献身的に歩んでいる人ほど、心の奥底に静かな、しかし重い「問い」を抱えているものです。
 「私は、十分な働きができているだろうか」 「私がいなくなったら、この場はどうなるのだろうか」 「何も生み出せていない自分に、価値はあるのだろうか」
私たちは、自分の存在価値を、自分の「機能」や「成果」と結びつけてしまいがちです。良い司祭であること、有能なスタッフであること、頼りになる相談相手であること。これらは素晴らしいことですが、いつの間にか「役に立つこと」が、私たちがそこに留まるための「入場許可証」のようになっていないでしょうか。

2. フランシスコが選んだ「無力」という豊かさ

 聖フランシスコの後半生は、ある意味で「役に立たなくなっていくプロセス」でした。 彼は修道会の創設者でありながら、組織が大きくなるにつれて、自ら総長の座を退きました。自分の理想が組織化され、変質していくのを目の当たりにしながら、彼はあえて「実権」を手放したのです。
 晩年の彼は、病に侵され、視力を失い、肉体的には「役に立つ」どころか、兄弟たちの介護を必要とする身となりました。かつてアッシジ中を駆け回り、人々に説教し、平和をもたらしたカリスマ的なリーダーの姿はそこにはありません。
 しかし、フランシスコが最も神に近い輝きを放ったのは、まさにこの「無力」な時期だったと言われています。 彼は「無力になる勇気」を持っていました。 自分が何かをコントロールし、誰かを教え導き、成果を上げる「有能な人」であることをやめたとき、彼は自分自身を、神の慈しみを受け取るだけの「小さき器」へと戻したのです。
 フランシスコにとって「小さき兄弟」であることは、単なる謙遜の言葉ではなく、「神の役に立とうとするのをやめて、神に愛されることに専念する」という決意でした。

3. 「奉仕疲れ」と「燃え尽き」の正体

 司祭や奉仕職の人々を襲う「燃え尽き(バーンアウト)」は、単なる肉体疲労ではありません。それは、「役に立っていない自分を許せない」という魂の悲鳴です。
 「もっと祈らなければ」「もっと訪問しなければ」「もっと良い話をしなければ」 こうした「もっと……しなければ」という強迫観念は、一見すると熱心な信仰心に見えます。しかし、その根底には「役に立たなくなったら、私は誰からも、そして神からも必要とされなくなるのではないか」という根源的な不安が隠れていることがあります。
 私たちは神のために働いているつもりで、実は「役に立っている自分」という像を守るために、自分を追い詰めているのかもしれません。
フランシスコは、私たちにこう問いかけます。 「あなたは、何もできなくなった自分を、そのまま神様の前に差し出すことができますか?」

4. 神は「成果」ではなく「あなた」を求めている

 聖書を紐解けば、神が選んだのはいつも「有能な人」ではありませんでした。むしろ、弱さや欠け、無力さを自覚している人々を通して、神の業は成し遂げられてきました。
 神様があなたに求めているのは、あなたが提供する「サービス」や「成果」ではありません。神様が求めているのは、他ならぬ「あなた自身」です。
 ●病気で動けなくなったとき
 ●言葉が出てこなくなったとき
 ●情熱が枯れ果て、何もしたくないと思ったとき
 そのときこそ、私たちはフランシスコが辿り着いた境地に近づくチャンスです。 「役に立つ人」であることをやめ、「ただ愛されている子供」に戻る。 この「降伏」こそが、私たちを真の奉仕へと解放します。私たちが「私がやらねば」という握りしめた手を離したとき、初めて神様がその手を取って、本当の業を始めてくださるからです。

5. 今月の黙想の問い

 この5月、6月。活動的になる季節だからこそ、あえて立ち止まって、自分の「無力」と向き合ってみましょう。
 1.「もし明日、今の役割や仕事がすべてなくなったら、私には何が残るだろうか?」と想像してみてください。
 2.「役に立っていない自分」を感じるとき、あなたの心にはどんな感情が湧いてきますか?(焦り、申し訳なさ、それとも……?)
 3.神様が、疲れ果てて何もできないあなたを、ただ微笑んで見つめておられる様子をイメージできますか?

むすび:強迫をほどく沈黙

 「まだ何かしなきゃ」という心のざわつきを、静かにほどいていきましょう。 あなたは、神様の道具である前に、神様の最愛の友です。 道具は使えなくなれば捨てられますが、友人は何もしなくても、ただ一緒にいるだけで喜ばれます。
 フランシスコのように、無力であることを恐れず、むしろそれを「神様が直接働いてくださるスペース」として差し出してみませんか。 今月は、あえて「何もしない時間」を神様への最高の捧げ物としてみてください。

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カトリック司祭。愛媛県松山市出身の末っ子。子供の頃から“甘え上手”を武器に、電車や飛行機の座席は常に窓際をキープ。焼肉では自分で肉を焼いたことがなく、釣りに行けばお兄ちゃんが餌をつけてくれるのが当たり前。そんな末っ子魂を持ちながら、神の道を歩む毎日。趣味はメダカの世話。祈りと奉仕を大切にしつつ、神の愛を受け取り、メダカたちにも愛を注ぐ日々を楽しんでいる。

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