私たちは、時々「このことは内緒だから誰にも言ってはダメですよ」ということを耳にすると、「私はまだ周りの人が知らないことを知っている」という優越感を覚えますし、なぜか他の人に話してしまうものです。また、嬉しい知らせなどは、誰かに早く知らせたいという気持ちになるのではないでしょうか。
きょうのみことばは、ヨセフが主の使いからお告げを受ける場面です。マタイ福音書は「アブラハムの子、ダビデの子であるイエス・キリストの系図」から始まり、イエス・キリストがお生まれになるまでの系図が記されています。さらに16節には、「ヤコブの子はマリアの夫ヨセフである。キリストと呼ばれるイエスは、このマリアからお生まれになった」とあります。このような長い系図が記された後に、きょうのみことばへと続くのです。
マタイ福音書は、おん父のご計画が、アブラハムから始まっていつになるか分かりませんが、【必ず救い主が生まれる】ということをこの系図によって記しているのです。きょうのみことばは、そのおん父のご計画が始まるというように、「イエス・キリスト誕生の次第は次のとおりである。」という言葉から始まっています。この言葉を聞いた人たちは、「こんなに善い知らせ(福音)はない」と言ってどんなに喜び、嬉しかったことでしょう。
みことばは「イエスの母マリアはヨセフと婚約していたが、同居する前に、聖霊によって身籠もっていることが分かった。」とあります。当時は、婚約をすることで同居していたようですし、さらに、この時から二人は【夫婦】と呼ばれていたようです。ですから、マリア様が身籠っているということは、姦淫の罪を犯していたといように律法ではなるのでした。みことばには、「聖霊によって身籠っている」とありますが、当時の周りの人は、「聖霊によって身籠った」ということなどわかっていません。きっと、マリア様は周りの人からの冷たい視線を感じたことでしょう。もちろん、そのことは、ヨセフ様を悩ます原因となったのではないでしょうか。
ですから、みことばは、「マリアの夫ヨセフは正しい人であったので、マリアのことを表ざたにするのを望まず、ひそかに離縁しようと決心した」とあります。ヨセフ様は、律法に従うのがいいのか、それともマリア様を傷つけないように、助けるべきなのかという優しさと愛情に、悩みに悩んだ末に相当な思いで決心したことでしょう。
そのような時に、主の使いが夢に現れて「ダビデの子よ、恐れずにマリアを妻として迎え入れなさい。彼女の胎内に宿されているものは、聖霊によるのである」と言われます。マタイ福音書では、【主の使い】と書かれていますが、ルカ福音書では、「み使いガブリエルが、神のもとから、ガリラヤのナザレという町の一人のおとめのもとに遣わされた」(ルカ1・26)とありますから、ヨセフ様の夢に現れた【主の使い】もガブリエルなのではないでしょうか。【主の使い】とありますように、ガブリエルは、【主】であるおん父のご計画をヨセフ様の夢に現れて告げ始めたのでしょう。
おん父は、ヨセフ様が正しい人のゆえに悩んでいることをご存知だったのです。それで、ご自分の使者として【主の使い】をヨセフ様の夢に現され、「ダビデの子よ、恐れずにマリアを妻として迎え入れなさい」とまず、ヨセフ様がどうすれば良いのかを示され、次に【聖霊によるのである】と言われて安心させたのではないでしょうか。
続いて、【主の使い】は、マリア様が「男の子を産む。その子をイエスと名づけなさい。その子は自分の民を罪から救うからである」と言います。「名は体を表す」という言葉はありますが、【イエス】という意味は、「主は救う」という意味のようです。この【主の使い】のお告げは、これからお生まれになられるイエス様がどのようなお方で、どのような【使命】を担われるのかということを示されたのです。
みことばは、「これらはすべて、主が預言者を通して告げられたことが成就するためである」と示した後、イザヤ書を用いてイエス様の誕生を伝えます。みことばは、お生まれになられるイエス様が、「神はわたしたちとともにおられる」という意味の【インマヌエル】と呼ばれると示します。このことは、イエス様がいつでも、どんな時にも私たちと【ともにおられる】ということを約束され、私たちへの希望と勇気を与えてくれる言葉となることでしょう。
ヨセフ様は、この【主の使い】の夢での現れによって「背中を押された」ように、主の使いが命じられたとおり、彼女(マリア様)を妻として迎え入れます。もう、ヨセフ様は、迷いも悩みもなく、むしろ、畏れながらも希望に満ちたことでしょう。
【主の使い】は、「救い主であるイエス様がお生まれになる」という知らせを早くヨセフ様に伝えたかったのです。私たちは、【主の使い】のように周りの人に、イエス様のご誕生の喜びを伝えることができたらいいですね。
