イエスは弟子たちに「あなたがたに新しい掟を与える。互いに愛し合いなさい」(ヨハ13・34)と語ります。「新しい掟」があるなら、当然古い掟があるはずです。例えば、出エジプト記の20章に出てくる「十戒」という掟。また「愛に関する掟」がレビ記19・18に登場します。そこには、「復讐してはならない。民の人々に恨みをいだいてはならない。自分自身を愛するように、隣人を愛しなさい。わたしは主である」と語ります。これ以外にも、613の細かい掟があり、「…しなさい」という肯定的なものは248、「…してはならない」という否定的なものは365ありました。これだけたくさんの掟があるので、ある一人の律法学者がイエスに「あらゆる掟のうちで、どれが第一でしょうか」(マルコ12・28)と、尋ねるのも納得できます。
古い掟をもとにしながら、イエスは新しい掟について示していきます。①ヨハネ10・18では、良い羊飼いの生き方を示しながら、「わたしは命を捨てることもでき、それを再び受けることもできる。これは、わたしが父から受けた掟である」と語ります。命を捨てることが、新しい掟の一つだと言います。②ヨハネ12・49において、イエスは御父との関わりで、「わたしをお遣わしになった父が、わたしの言うべきことを語るべきことをお命じになったからである」と。ここにも、父から命じられた一つの新しい掟があります。③ヨハネ15・10では、「わたしが父の掟を守り、その愛に留まっているように、あなたがたも、わたしの掟を守るなら、わたしの愛に留まっていることになる」と語ります。このように、新しい掟がイエスと御父との関わりで示され、この愛が弟子たち相互の愛の模範になっていきます。
アウグスチヌスは「ヨハネ福音書講話」の中で次のように語ります。「主はなぜ『新しい掟』と呼んでおられるのでしょうか。思うに、この掟が私たちに古い人間を捨てさせ、新しい人間を身にまとわせるものなので、それは『新しい掟』と呼ばれているのです。事実、愛はその掟を聞く人ではなく、むしろそれに従う人を新しくするのです」と。イエスによってなされた「新しい掟」の意味合いをかみしめたいものです。