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マスコミの先駆者アルベリオーネ神父

18. すぐれた霊性の持ち主――マスコミの先駆者アルベリオーネ神父

 アルベリオーネ神父がアルバ大神学校の霊的指導司祭をしていたころの面影を、パウロ・マルチェリーノ神父は、こう語る。

 「私は一二歳にもならないある朝(一九一四年十月七日)、アルバ小神学校の聖堂でミサにあずかった。その時、ミサを立てたのは、若いのにヒゲをのばし、どうもあかぬけしない、やつれた顔色の、ほっそりとした神父であった。それが、あとでわかったのだが、アルベリオーネ神父であった。ミサを立てる動作も歩き方もお祈りの仕方もゆっくりしていた。私はミサの間中、なんとなくその神父に非常な魅力を感じた。私にとって神さまが現れたような感じであった。ミサが終わって、私は同級生に聞いた。『いまミサを立てた方は誰ですか?』『霊的指導者だよ』『霊的指導者は何をするのですか?』『何かのことを言って、本をくださるのだよ。みんなあの神父のところに行っているよ』『私も行っていいの?』『もちろん』私はあとでその神父のところへ行き、自分の希望を述べた。『私は教区司祭になろうとは絶対に思いません。宣教師になりたいのです』『それでは本を読みなさい』と言って渡されたのが、グリニョン・ド・モンフォールの書いた『聖母マリアに対する信心』という本であった。私はこれを再三熟読し、暗記するまでになった。私は一年半ばかりアルバの小神学校で勉強していたが、一九一六年(大正五年)五月、アルベリオーネ神父のところへ告解しに行った時に、『あなたも、私のところに来なさい』と言われた。

 当時聖パウロ会は、はじまてから二年ほどしかたっておらず、小さな印刷工場をひとつ経営しているにすぎなかった。私は毎週、休み時間に並木道を通って、その印刷工場の前をよく散歩したものである。それで聖パウロ会のことは、あるていど知っていた。神父に『来い』といわれた時、私は聞いた。『何にしてくださいますか?』『新聞記者にしてあげます』ある日、私はパウロ会へ行って一日をすごした。ちょうど新聞を発送するところだったので、それを手伝ってあげた。その時は、『自分の道は、ここにある。ここにはいろう』と決めた。そのことを父に話すと、父は、『ぜったいダメだ』と言ってゆるさない。

 それから三か月ばかり、これについて父と私との間に言い争いが続いた。父の考えでは、『教会の奨学資金で小神学校に通い、神父になろうとがんばっていたのに、印刷屋になろうとする。パウロ会でたとえ神父になっても、失敗だ。アルベリオーネ神父に呼ばれて、世間の人になろうとしている』と誤解していたのである。そして最後に父は、私に言った。『そんなに行きたいなら、行ってもよい。しかし、これから勘当するから、一銭たりともあげないぞ』『お父さん、神さまには、たくさんお金がありますかにら安心しなさいよ』と言って、私は十月十六日に家を出て、聖パウロ会の玄関のベルを押すと、アルベリオーネ神父が出て来た。私は『神父さま、すみません。ここにくる前に家庭の事情を、あらかじめ知らせておこうと思いましたが、あいにく切手を買うだけのお金もなくて連絡できませんでした。おゆるしください』とあやまった。『まあ、まあ、この部屋にはいって、ゆっくりしなさい』

 『神父様、私の父は、“これから私に一銭たりともあげない”と言っております』『いや、いや、神さまにはたくさんのお金がありますから安心しなさい』ふしぎにも神父は、私が裸一貫で家を出てくる時に、父に対して言ったことと、同じことを私に言ったのである。」

 アルベリオーネ神父は、まもなく聖パウロ修道会を創立することになるが、一番最初の志願者にはティト(一八歳)、コスタ(一六歳)、マルチェリーノ(一五歳)、アンブロジオ(一五歳)、マジョリーノ(一一歳)などがいた。こうして少年たちに強い信念をいだかせ、いかなる困難にもくじけない強いマス・コミの使徒へと育てあげたアルベリオーネ神父の教育の秘訣はどこにあったのだろう? この神父の直弟子であるマルチェリーノ神父の体験によって、これを述べてみよう。

 「私はアルバの小神学校在学中から、アルベリオーネ神父を聴罪司祭に選んでいた。私の第一印象として残ったのは、彼がまったく神の代理者であるということである。もちろん、人間的に好感のもてる面もあった。ニコニコしてやさしい感じであったる多少母性的な面がある半面に、神の代理者としての威厳のある面もそなえていた。神父は一週間の何回か朝の黙想をしてくれたが、非常にしんけんな顔をして、ことばやさしく、私たちの頭の中に刻みつけるようにゆっくり話した。話はおもに聖母マリアさまについてであった。当時の私の母は、まま母であった。生みの母は私がもの心つかないうちに亡くなった。そのまま母を長い間、生みの母とばかり思っていた私は、ある日事実を知って子供心にも非常なショックを受けた。小学校時代からずっとそのことで悩んでいた。アルベリオーネ神父は、このことを直感したのか、身元調査したのか、わからないが、とにかく私には、最初からマリアさまのことをくわしく話してきかせた上で、マリアさまについての本をくださった。『ほんとうのお母さんはマリアさまだよ。世の母も神の代理者として一定の期間、子どもを育てたら、あるていど母親としての役めは終わる。しかしマリアさきは、永遠に私たちのめんどうを見てくださり、超自然的な生命やお恵みを豊かに与えてくださるのだよ』とかんで含めるようにこんこんと教えてくださった。私は子ども心にピンピンときて、今までの心の悩みが完全に解消した。

 もう一つ私事にわたるが、私は労働者の子で、幼い頃から共産主義の環境の中で育った。仕方なしに教会へも行っていた。毎日、小学校へ通うために、どうしても教会の前を通らなければならなかった。そのたびに私は教会の信者ににくしみを覚えた。なぜなら、『かれらは資本家の手先で、肉食ばかりしている』という反感をとてもつよくもっていたからである。父は私に労働組合の新聞を読ませてくれたし、友だちのところに連れていって労働問題を聞かせて社会の不正を吹きこんでいた。また私の小学校の同級生は五○人ばかりいたが、その中にひとりの金持ちの子がいた。頭のよくない、その坊ちゃんは、学校からあまり遠くないところに住んでいるのに、父親から毎日自動車で送り迎えをされ、特別扱いにされている。私はクラスのトップで、あの坊ちゃんより何倍かできるのに、ただ労働者のせがれであるという理由だけで低く見られ、ガキ扱いされる。どうして、こんな差別があるのか、どうして人間の価値をありのままに見ず、第二次的な家の財産や地位や職業などによって差別するのかなどと、年に似るず、ませた考えを抱いて正義感をもやしていた。アルベリオーネ神父は、私の心を理解して『ほんとうの父は天主さまだよ』と言ってくれた。そうだ、ほんとうの父は天主であり、ほんとうの母はマリアさまなのだ。世界一の両親をもっているのだから、どうして肉親の親を比較してひがんだり、悩んだりする必要があるのか。私たちは、みな神さまの子として平等なのだ。こういうことで第二の問題も私の頭の中で解決した。

 アルベリオーネ神父は、諸聖人の通巧の秘義について上手に教えてくれた。来世にはいる人の交わりは、ある意味でこの世の人同士の交わりよりも親密である。この世の人同士の交わりは一部しかできない。互いに理解できるのは相手の考え、心の一部でしかない。来世での人との交わりは永遠に続く。お祈りによって私の亡くなった母、友だち、天使、聖人とも交流し、いつもいっしょにいるような気持ちになる。アルベリオーネ神父は、このように少年たちの心をいっきに超自然界に引き上げていた。人間的に見れば、神父は美男子でもなければ雄弁家でもない。しかし、語ることばはひとつもムダなく、一語一語、ぐさりぐさりと心の中に刻まれる。まことに神のことばそのもので、深く心に感じさせ、印象に残る話しぶりである。ほんとうに信仰に生きる人、神とともに生活している人として、神のみことばを、そのものずばり伝えてくれる人という印象をあたえていた。」

 またアルベリオーネ神父は、肉体と精紳との調和・統一に非常に気を遣っていた。肉体を無視して精紳だけをたいせつにするということはなかった。もちろん、比較的に精紳をたいせつにし、それを超自然の域にまで高めることに努めた。つまり感情を浄化させて聖なること、美しいものに向かわせ、理性は神のみことばや聖霊の光で照らさせ、意志力は善だけを求めるように努力した。

 肉体について、アルベリオーネ神父は適度に配慮した。本人は元来、病弱であったが、食べることや休むことを節制するのはやさしかった。しかし、自分の弟子たちには、ぜいたくはさせないにしても、健康の害になるような断食とか、睡眠不足はやめさせた。かえって食卓にに出るものは、じゅうぶんに食べなさい、と勧めていた。そして、なるべく衣・食・住にはことかかないように配慮した。第一次世界大戦の食糧不足のさなかにも、四方八方に手を尽くして食糧を集めさせ、なんとか弟子たちに飢えを感じさせないように努めた。農家出身の弟子の一人を買い出し係りに決め、知り合いの農家をぐるぐる回らせて食糧を確保させたのである。

 同神父の考えによれば、いちばんよい苦業は、断食やむち打ちや不眠でもなければ、神経質になるほどの、たえまない緊張でもない。それよりも愛すること、神さまに力いっぱい仕えることがたいせつである。たとえば勉強をいっしょうけんめいやる、仕事を徹底的にやることである。神さまを畏れるよりも、できるだけ神さまのみ前を意識しながら、あるだけの力を出して仕事や勉強に身を打ちこむことを勧めた。それが神を愛することであり、りっぱな節欲になると教えた。アルベリオーネ神父は、健康管理を怠るなと、こう述べている。「私の小さなあらゆる病気にくよくよするならば、四十五年以来ずっと外気にふれず、兄弟たちにかしずかれることを求めて、部屋の中に閉じこもっているに違いない。過度の心配は体を衰弱させてしまう。頭を使って精いっぱい体を鍛えなさい。緊急な時か、どうしても必要な時でなければ、私は歩いて階段をのぼる。“健全な精紳は健全な身体にやどる”遊びすぎや過度の仕事で、体をこわしてはいけない。不賢明や怠慢によって、あなた自身の中で、それらを開花させるようにつとめなさい。」

 しかし、身体は大切であっても、あくまで霊魂の道具であることを忘れてはならない。アルベリオーネ神父は、霊魂が身体の本能、感覚的なものを支配して、人間の行為を方向づけなければ、どんな不幸を招くか、神学生時代の手記の中で、こう述べている。

 「本能に身を委ねる人は、色あせた、浅薄で平凡な人間以上のものになりえず、どんなことについても深い知識はないし、また、どの面でも、これといった取り柄がない。このような状態になると、人は、もうどんなことにも深い甘美を味わえなくなる。それというのも、心が雑多な光を受けるので、分散した愛だけしか持てないからであり、もはや心のどこにも、強さ、熱情、優しさ、詩情は見い出せなくなってしまうからである。そうなると、この人は信仰について誘惑を抱き始め、天に向かおうとはせず、現世のもののみ求めるようになる。そしてやがて、信仰の否定へと移って行く。“淵は淵を呼び起こす”(詩編41・ 8)さらに、人は恥ずべき泥沼の中に、すっぽり沈んで行き、人間の品位を引き下げ、獣と化してしまう。

 心は、もう愛する力を持たない。知性は、何も学ぼうとはせず、あらゆるものに干渉する。意志は、渇望すべき高尚な対象を知性から受けられない。そうなると、創造は思いのままに駆けまわり、何のよいことも、できなくなってしまう。

 もう愛することもできず、どんな甘美さも清らかな喜びも、もう味わえなくなる。もはや、どんな名誉も受けることができない。というのも、もはや深味のあることは全く何も知らないからである。そうなると、ある人を妬み、他の人を憎む。こうして絶えず自分の行ったことをくやまねばならなくなってくる。そんな生活は、どうなるだろう? 絶望と疑惑と嘲笑がせきの山であろう。

 『なすべきことをなせ』こうしておまえは、愛と幸福と平和と知識をうるだろう。そして、さらに、おまえを保証する潔白な良心をもうるであろう。

 どんなことをも注意深く行うなら、すべてはうまくいくだろう。それが聖人たちの秘訣である。」

 アルベリオーネ神父の霊的生活のもう一つの著しい特徴は、本人が深い神秘生活をしながらも、若い人には、それをすすめも強調もしなかったことである。かえって神秘生活を否定するかのような態度さえとっていた。若い女性や修道女らが、感情に走ってよけいなことを考え、それをあたかも神の示現であるような錯覚におち入らせないためであった。また神を愛するつもりでいても実は自分しか愛していない錯覚を避けさせるためであり、さらにパウロ家の信心と活動との調和のある生活をさせるためであった。パウロ家には独自の信心、たとえば道・真理・生命である師イエスや聖パウロなどへの信心があり、勉強や仕事を大切にする活動生活があるからである。

 大正時代に、幼き聖テレジアの自叙伝が出版されてたいへんな評判になったが、アルベリオーネ神父は、それに疑惑をもつかのように、弟子たちには、その本をすすめず、ある時期には、その本の読書さえ禁止した。それなのに、自分の創立した師イエズス修道女会の保護の聖人に、この幼き聖女テレジアを立てているのである。しかも、神父自身が神秘的人物であり、深い観想生活をしていた。聖霊から超自然的御恵みを、たくさん受けていたが、それをほとんど隠していた。神父は朝四時に起き、聖堂で黙想したり、祈りしたりしていた。非常に忙しい時でも、大きな問題をかかえ、大きな仕事をしている時でも、潜心して神のうちにいるような印象を、まわりの人に与えていた。神の代理者ということばは、この神父には百パーセントあたっていた。偉大な仕事が成功した秘訣は、ここにあった。

 アルベリオーネ神父の肉体を見れば、皮膚は弱く、骨格は貧弱、血液の循環は悪く、八月のまっさい中、弟子たちが汗びっしよりになって働いているのに、神父は寒そうに外とうを着ていた。しかし、神経は、はがねのように強く、精神力も抜群であった。いったん、こうと決めたことは、テコでも動かず、ねばり強くやり通した。そして、たびたびぐったりとなって半分死んでいるかのように見えたが、翌日にはピンピンしていた。
弟子たちには、「神の罰を畏れるよりも、自分自身の弱さ、罪を畏れよ。自分の決心したことも守らないとか、自分の弱さで過失をおかすから、自分の力には不信をもつべきだが、神のあわれみには信頼を寄せよ。口先だけでなく、行いでもって神を礼拝せよ」とうるさいほど勧めていた。

・池田敏雄『マスコミの先駆者アルベリオーネ神父』1978年
現代的に一部不適切と思われる表現がありますが、当時のオリジナリティーを尊重し発行時のまま掲載しております。

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