66 「あなたは、適格者と認められて神の前に立つ者、恥じるところのない働き手、真理の言葉を正しく伝える者となるように努めなさい。俗悪な無駄話を避けなさい。そのような話をする者はますます不信心になっていき、その言葉は悪いはれ物のように広がります。……」(Ⅱテモテ2,15-17 )。
67 あなた自身を大事にしてください。
1 あなたの品位には完徳が必要とされるからである。あなたは神の神殿であり、神の奉仕者であり、神に聖別奉献された者である。あなたは人々に聖性を伝えななければならないからである。
2 あなたの地位のゆえに。神から遣わされた者、神の使徒、人々の仲介者、異邦人の教師、福音の伝道者。
3 職務と義務のゆえに。指導し、罪をゆるし、神への崇敬行事つねに行なわなければならないからである。
4 なまぬるさから守られるため。なまぬるい司祭は価値のない司祭だからである。デリケートでない人は罪に陥るし、防壁がくずれ落ちるままにしておくからである。
涜聖から守られる。司祭はすくなくともときどき罪を犯すことによって涜聖になってしまう。離教、良心の荷責、悪い死にかた、天罰から守られる。これらは涜聖に陥る司祭が容易にさらされている危険である。
5 聖職の成果が上がらず、見せ掛けの芝居になったり、内心が同様するのは内的生活を怠った結果である。
68 召命の初心を貫くこと。世から離れて、神のため、教会のため、人々のために生きなければならない「わたしの按手によってあなたのうちに与えられた神の賜物を、再び燃え立たせるように勧めます」(Ⅱテモテ1,6 )。
「ところで、主に結ばれた囚人となったわたしは、招かれたあなたがたが、その招きにふさわしく生活するように勧めます、あくまでもへりくだりとやさしさを持ち、がまん強く、愛によって、互いに耐え忍び」(エフェゾ4,1-2 )。
私たちは危険を避けよう。
肉体のすべての汚れから私たちをきよめよう。
精神のすべての汚れから私たちをきよめよう。
私は自分の肉体を罰する。つまり目、味覚、心。
私の体を奴隷にする。本当の司祭としての活動をして私の体を奴隷にする。
心の訓練、つまり考えを正し、謙遜、柔和であるように努める。
69 次のことによって司祭としての精神を鍛えなければならない。
信心のわざをもって、聖書や聖人伝の朗読をもって、聖なる事を勉強し、司祭としての精神を鍛えなければならない。
真の内的生活によって、つまり「神の前で、神から、神のため、神とともに生きることによって」司祭としての精神を鍛えなければならない。
内的生活を怠る司祭たちに対して、次の聖ユダのことばが、あてはまる。「風に吹き流されて、雨を降らさない雲、実をむすばないで枯れ果て、根こそぎにされた晩秋の木、自分らの恥の泡を吹き出す海の荒波、さまよう星です。彼らには、深い暗闇が永遠に用意されています」(ユダ12-13 )
師イエスに向かって
70 聖師よ、あなたを知り、自分を知るために、あなたの光を与えてください。
あなたの知恵には限りがありません。
あなたは視力を与えてくださいました。
あなたは理性を与えてくださいました。
あなたは信仰の光を与えてくださいました。
天が永遠にあなたを見つめることができるように、栄光の光を与えてください。
それでこの目、この理性、この信仰の賜物をよく使う恵みを私に与えてくださるように懇願します。
特に次の点を照らしてください。
1 私自身のことに気をつかう必要。
2 私の内感、外感すべてにわたって節制を行うこと。
3 私の祈りを質量ともに向上させること。
4 私が心から嫌っている高慢心を取り除くために力を尽くして戦い、つねに、すべてにおいて、あなたの光栄のみを望むこと。
ロザリオの祈り、ミゼレレ。
・『霊的生活の模範 使徒聖パウロ』(ヤコブ・アルベリオーネ著、池田敏雄訳)1987年
現代的に一部不適切と思われる表現がありますが、当時のオリジナリティーを尊重し発行時のまま掲載しております。