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みことばの響き

キリストとの出会い 復活節第3主日(ルカ24・13~35)

 エルサレムからエマオまで60スタディオン(約11~12キロメートル)。エルサレムは少々高台にあるので、エマオへは少し下って行くことになるでしょう。登山で言えば、北アルプスの穂高岳や槍ケ岳、常念岳や蝶ケ岳などから下山して横尾山荘に着き、そこから徳沢→明神館→上高地までの道のりが約12キロメートルですから、横尾山荘から上高地まで梓川と並行しながら少しずつ下って歩いていくのに似ているでしょう。

 約12キロメートルの道のりがあればいろいろとおしゃべりもできるものです。頂上での楽しい思い出、天候に恵まれずに苦労して歩いたこと、また梓川のせせらぎ…。語り合っていくうちに、いつの間にか目的地に着きます。

 今日のみことばの中でイエスは歩きながら、モーセとすべての預言者から始めて、聖書全体にわたり、御自分について書かれていることを説明なさいます。二人の弟子たちはイエスと歩きながら、いろいろな受け止め方をしたのでしょう。「道で話しておられるとき、また聖書を説明してくださったとき、わたしたちの心は燃えていたではないか」(ルカ24・32)と。道を歩いている時、イエスはずっと共にいてくださったのですが、二人の弟子は「イエス」だと気づいていません。何が彼らを遮っていたのでしょうか。彼らの高慢心、欲望、無関心など、種々の雑念が彼らの気持ちを遮っていたかもしれません。

 イエスの話を聞きながら彼らは「心は燃えていた」言います。この「燃える(カイオー)」という言葉はルカ福音書では2回使用されるだけで、「ランプに火を灯す」意味を持ち、ルカ12・35において、ずっと燃え続けている火を意味しています。つまり、私たちがどれだけ熱心であり続けるかを問うような言葉です。

 年とともにだんだん熱意が冷めてくるかもしれません。そんな時、イエスがいつも共にいてくださることに思いをはせながら、熱意を灯し続けたいものです。

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