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月刊澤田神父

幼子として生まれてくださった神の子【月刊澤田神父 2023年12月号】※字幕付き

この困難な時に平和の主である神の子の誕生を祝うとは?
 クリスマスおめでとうございます。今年のクリスマスは残念ながら痛みと悲しみに満ちたものとなってしまいました。平和の主である神の子イエス・キリストが幼子として生まれてくださったイスラエルの地。まさにこの地域でイスラエルとハマスの戦争が起き、それが終わることなく続いています。主の降誕を記念するベツレヘムの教会では、毎年、幼子イエスの誕生を祝う馬小屋が作られますが、多くの方がニュースでご覧になったとおり、今年はがれきの上に幼子イエスのご像が置かれたものとなっています。
 しかし、だからこそその意味を考えるようにわたしたちは招かれているのだと思います。そもそも神がわたしたち人間を救うために「幼子」となる必要などはありませんでした。どこからともなくメシアが現れ、救いを実現し、去っていくという筋書きも可能だったはずなのです。しかし、神はそれをお望みにはなりませんでした。神の子イエスがわたしたちと同じように幼子として生まれ、周囲から助けられ、育てられて成長し、救いを成し遂げることを望まれたのです。それは驚くべきことです。わたしたちは自分の意志で幼子として生まれてくるのではありません。しかし、イエス・キリストはご自分の意志で、神の子でありながら人となること、しかも幼子となり、人々に支えられ、育てられる者となることを望まれたのです。自分が中心ではなく、周りの人々が中心であり、他の人々に翻弄されることに身をゆだねるほどの状況に自分を置くこと。それがクリスマスなのだとしたら、わたしたちは今年のような状況、つまり自分の活動で何かができたわけはなく、世界の情勢、他の人々に翻弄された状況を生きた中でこそ「主の降誕」の意味を掘り下げるべきなのでしょう。
 わたしたちの修道会は約100年前の1914年に創立されました。本当に何もないところから始まりました。そのことを振り返りながら、わたしたち聖パウロ修道会の創立者ヤコブ・アルベリオーネ神父は繰り返し述べています。「わたしたちはベツレヘムの馬小屋から生まれた。それを忘れてはならない」。
 わたしたち聖パウロ修道会が、このベツレヘムの「記憶」を深めながら、ゆだねられた使命を果たしていくことができますように。皆さんが今年の「主の降誕」の意味をそれぞれ深め、恵みをいただくことができますように。

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澤田豊成神父

聖パウロ修道会司祭。1965年、東京都目黒区生まれ。1996年、司祭叙階。教皇庁立グレゴリアン大学神学科修士課程で聖書神学を専攻、神学修士号取得。現在は編集をとおしての宣教に従事。東京カトリック神学院、聖アントニオ神学院講師。

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