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月刊澤田神父

「月刊 澤田神父」2022年10月号(使徒言行録はパウロを記すことで何を言いたいのか)※字幕付き

使徒言行録の結び

 使徒言行録は全部で28章あります。前回触れたエフェソの教会との別れの後、パウロはエルサレムに行き、21章で捕らえられます。ここから、パウロの獄中での生活が始まります。パウロは、ローマ総督府のあったカイサリアに連行されます。そして、カイサリアで最初の裁判が行われます。しかし、裁判は諸事情で中断し延期されます。
 その後、この地の総督が代わり、裁判が再開されました。しかし、パウロはその場でローマ市民権を用いて皇帝に上訴しました。このため、パウロはローマ皇帝のもとに連行されることになりますが、それまでもカイサリアでさまざまなことがありました。
 その後、ついにパウロは皇帝のもとで裁判を受けるため、カイサリアから船出をします。当時は、イタリアに直行する船はありませんでしたから、各地に寄港しながら旅が続けられました。イタリアに近づいた時に、船は時化に遭い、難破してしまいました。かろうじてマルタ島にたどり着き、一行はローマに向かいました。

ローマにて

 パウロは、ローマに着き、ユダヤ人と議論をかわします。こうして、使徒言行録は終わります。しかし、わたしたち読者にとっては疑問が残ります。皇帝の前での裁判の様子が描かれていないからです。パウロが皇帝の前での裁判を望み、上訴したからこそ、カイサリアでの裁判が打ち切りとなり、パウロはローマまで来たのです。皇帝のもとでの裁判が最終決着のはずであり、使徒言行録の終わりの部分も読者にそれを意識させてきたはずです。では、なぜ使徒言行録はこのことに触れないのでしょうか。
 おそらく、この点こそが使徒言行録の記したいことなのだと思います。皇帝のもとでの裁判の結果によらずとも、パウロは「訪れてくる者をみな迎え入れ、少しもはばかることなく、また妨げを受けることもなく神の国を宣べ伝え、主イエス・キリストについて教え続けた」(使徒言行録28・30-31)。使徒言行録にとっては、それこそが重要なことなのです。どんなに迫害されていても、捕らえられ引き回されているように見えるとしても、神は必ずその中で働いてくださり、福音の宣教が成し遂げられている。裁判で無罪だろうと有罪だろうと、それは変わることがない。もちろん、パウロもそうですが、わたしたちもそれ故に苦しみの中、引き回される中にあります。それでも、わたしたちが神の働きを信じることができるように。使徒言行録はパウロが捕らえられてからの記述をとおして、わたしたちにそれを伝えているのだと思います。

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澤田豊成神父

聖パウロ修道会司祭。1965年、東京都目黒区生まれ。1996年、司祭叙階。教皇庁立グレゴリアン大学神学科修士課程で聖書神学を専攻、神学修士号取得。現在は編集をとおしての宣教に従事。東京カトリック神学院、聖アントニオ神学院講師。

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