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最初の宣教師たち

福岡・大名町での滞在――日本と韓国の聖パウロ修道会最初の宣教師たち(49)

 パウロ神父は私たちが東京から福岡に出発するとき、福岡に着いたら大名町にある福岡カテドラルの主任司祭、伊東神父に会うように助言した。

 主任司祭は教会の右手に二階建ての小さな家を持っていて、それを社会福祉事業のために使っていた。深堀司教のご好意に沿う形で、伊東神父は一時的にこの家をパウロ会員たちのために提供してくださった。それは福岡におけるパウロ会に対する最初の援助であった。二階の二部屋は、東京から到着したばかりの司祭たちに割り当てられ、一階には狭い玄関と広い部屋があった。私たちパウロ会員はここで数カ月を過ごし、いよいよ福岡での使徒職を開始した。

 最初のころ、私たちは大名町の家の一階の部屋を最大限に活用した。書籍と聖品を陳列して、そこを小さな使徒職センター(書店)とした。しばらくすると、東京から熱心な中村修道士とすばらしい信徒のミカエル佐藤実さんが応援に来てくれた。この二人は書店での仕事を担当した。

 将来に希望が持てる、順調な使徒職の滑り出しであった。特に書店は、日曜日に来店者が多かった。信徒たちは主日や祭日のミサが終わって聖堂を出てくると、書店の前を通り、かなりの数の人が買い物のためにお店に立ち寄ってくれた。ささやかな活動であり、決して十分とは言えない収益ではあったが、福岡での「船出」は大きな問題もなく、前に進むことができた。最初の志願者たちを受け入れる時まで、収入の方はなんとか足りていたが、志願者の受け入れで問題が起こった。すなわち「新しい口」を養うという問題が……。

 当時、西日本(九州)の人々の社会的・文化的水準は、まだ本州のそれに達していなかった。彼らの生活習慣や伝統は、その大部分が本州のそれに基づいていた。そのため、この土地の人々と他の地方から来た宣教師たちとの間には、互いが心理的に理解し合えるプロセスというものがどうしても必要であった。九州の人たちの目には、私たちのように活動する聖職者は、「最大の奇異」として映ったのである。なぜなら、これまで宗教書や聖品を普及する司祭や修道士というものを、彼らは一度も見たことがなかったからである。

 しかし人々は次第にこの新しいタイプの活動を受け入れるようになり、それが多様な教会司牧の使徒職の一つであること、そして基本的な司祭の役務は聖職者にとって重要なものであるが、宗教書や聖具の頒布もまた、「福音宣教」にとって重要な一つの役務であるということを理解してきた。そして両者の「心理的隔たり」に関する問題は、次第に克服されていった。なぜなら宗教の分野においても、先人から受け継いできた考え方の中に新しい状況を受け入れるということは、それほど難しいことではなかったからである。

 大名町の書店は、オープンして約三十年が経過したが、今も福岡で活動を続けていて、その使命を果たしている。この三十年の歩みの中で進歩がなかったわけではない。書店は次々と拡張され、改装されてきた。現在、この書店を運営しているのは聖パウロ修道会の姉妹会である聖パウロ女子修道会である。一九七七年に福岡を訪問してこの書店を見た時、私は込み上げる感動を抑えることができなかった。(監修者注:現在、書店は大名町に再建された福岡カテドラルの中にある。)

 私たち全会員は、使徒職ができる限り迅速に発展するように努力した。アンジェロ・カステロット神父は常に私の「右腕」であり、書店の経営と小共同体の会計に尽力した。

 彼はその任務を常に注意深く、細心かつ公正に、そして熱心に遂行していた。そして私は会員たちの中でも、特にパウロ山野修道士を賞賛したい。私たちが福岡に到着すると、入れ替わりに彼は、ただちに長崎に向かって出発した。長崎には前に簡単に触れたように、カトリックの伝統が一五〇〇年代後半のフランシスコ・ザビエルによる福音宣教と、現在も密接に結びついている土地柄である。

 パウロ山野修道士は一九八二年四月二十四日に、敬虔な死を迎えた。彼は私に先立って、御父のみもとへと旅立っていった。

 神のみ摂理の最初の賜物、それは聡明で寛大、そして明るくて元気いっぱいの六人の日本人少女たちであった。彼女たちは私たちの共同体に、一陣の新鮮な風と喜びを吹き込んでくれた。彼女たちはすぐ、各自に委ねられた務めを誠実に果たし始めた。その務めとは書店内の整理、清掃、そして料理の手伝いであった。彼女たちは「ピエ・ディシェポレ(師イエズス修道女会)」の最初の日本人修道女の中核となる人たちであった。

 彼女たちの名前はジュリアーナ、マリア、マルゲリー夕、テレサ、テレシーナ、アニェーゼであった。そして、彼女たちは大いなる喜びのうちに志願者の制服を受けた。

 さらに私たちはイタリアのアルベリオーネ神父に手紙を書き、現在の状況下において必要と思われる修道女たちの応援を要請した。そして二人の「ピエ・ディシェポレ」(この意味は「聖師、すなわちイエス・キリストの弟子」を意味する)、マードレ・イラリアとシスター・コルディスが福岡に到着した。こうして「永久聖体礼拝」という特別な使命を持ち、創立者アルベリオーネ神父が最も愛する「聖師の弟子たち」の修道女会が、この日本の地に創設されたのだった。

ロレンツォ・バッティスタ・ベルテロ著『日本と韓国の聖パウロ修道会最初の宣教師たち』2020年

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