書籍情報、店舗案内、神父や修道士のコラムなど。

信心のすすめ

聖体──信心のすすめ(31)

 「天地創造の前に、神はわたしたちを愛して、御自分の前で聖なる者、汚れのない者にしようと、キリストにおいてお選びになりました。イエス・キリストによって神の子にしようと、御心のままに前もってお定めになったのです。神がその愛する御子によって与えてくださった輝かしい恵みを、わたしたちがたたえるためです。」(エフェゾ 1,4-6)

Ⅰ 聖体によって、宗教精神は促進されます。宗教精神は、神とのきずなであり、交わりをなすものです。聖体拝領において、霊魂は、神にもっと結びつけられます。ミサ聖祭によって、ふさわしいいけにえ、すなわち、礼拝、感謝、つぐない、嘆願を神にささげます。キリスト者が神とともに有している一致と、イスラエルの民が持っていた一致とは比較にならないほどです。しかし、イスラエルの民は次のように書きました。「私たちのように、かくも近くにおられる神を有しているかくも偉大な国は他にない」と。私たちは、のぞむとき、聖体訪問によって、「かくれたる神よ、あなたを礼拝します」と言って彼に近づきます。さらにイエスとともに、イエス・キリストによって、かんばしい香りのうちに、いけにえをささげながら、聖三位一体を礼拝します。聖体祭儀は、聖なる典礼をみたします。その祭儀は、あらゆる宗教の中心であり、すべての祭儀に聖なる熱を与えるものです。中心にある光りのように、すべては聖体に向かいます。

Ⅱ 聖体において、謙遜を学びます。託身された神の子は、聖なる形色のまずしい外観のもとに、その天上の栄光の輝きを隠されます。ここでは、馬小屋とナザレの職人の店、ならびに受難のときよりももっとまずしくなられています。「十字架上では、ただ神性だけが隠されていましたが、ここでは人性もかくされていますむ」。さらに、聖なる食卓には、富者よりも貧者が、権力者よりも小さい人びとのほうが、より多く近づいています。「貧しい者、しもべ、謙遜な者が主に食べる」のです。

Ⅲ 聖体の生活において、聖師イエスよ、私たちに、あなたが地上で述べ伝えたと同じ徳の模範を与えてください。私はあなたの忍耐を感嘆いたします。あなたは、無関心、不敬、汚聖、教会におけるあなたの現存に対してなされる無礼をじっと耐えておられます。私はあなたのたえざる従順を感嘆いたします。あなたは、司祭の声に従って、祭壇におくだりになります……。あなたは持ち運ばれ、分配され、またあたかも感覚も力もないかのように、聖櫃に閉じ込められるのを、なすがままに許しておられます。私はあなたの自発的な清貧を感嘆いたします。多くの教会は、まずしく、よごれています。祭壇かけは見る目にも見苦しく、パンとブドウ酒は質的にも悪いもので、よく醗酵さえしていないものがあります。

・糾明───しばしば聖体拝領をしたのち、宗教精神と謙遜、清貧、従順、忍耐の徳に進歩しているだろうか。
・決心───聖体なるイエスに近づくにあたり、内的な心構えに注意したい。聖櫃には、むかしの福音的模範だけであるのではなく、今日的で、目に見える模範がある。聖櫃から、私に学べ……私はあなたがたに模範を与えた、という招きが、ひきつづき与えられているのだから。

『信心のすすめ-自己の聖化と人々の救いのために』アルベリオーネ神父(サンパウロ・1974年)
※現代的に一部不適切と思われる表現がありますが、当時のオリジナリティーを尊重し発行時のまま掲載しております。

RECOMMEND

RELATED

PAGE TOP