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福者ジャッカルド神父

小学校に入学――福者ジャッカルド神父(6)

 ピノトゥは、7歳でナルツォーレの小学校に入学した。ジャッカルド神父の列福調査当時、小学校の同窓生は90歳を越えており、数人生き残っていたが、そのうちの一人、弁護士のジョヴァンニ・スクァロッティ(Giovanni Sguarotti)によれば、ピノトゥはいつも愛想がよくて、慎み深かったそうである。宿題をこまめにやり、作文の時にはすばらしいか考えをひらめかせ、算術もよくできた。勉強のできない同級生たちは、ピノトゥの人のよさをいいことに、そのノートを盗み見したものだった。

 このジョヴァンニとピノトゥは大の仲良しで、毎朝、いつも一緒に教会へ門の開く前に行き、ミサに奉仕をしていた。二人は初聖体も同時に受け、容貎まで瓜二つであったという。早朝のミサ通いについて、ピノトゥの父ステファノは次のようなエピソードを伝えている。

 朝、ピノトゥを起こさなくともすみました。一人で早起きし、教会に言っていましたから……。天気がどうであろうと、朝早く出かけていました。その朝、ピノトゥより一歳年上の隣の少女を連れ出す習慣がありました。ある冬のことでした。しんしんと雪が降り積もっていました。その前晩、母はピノトゥに、天気が悪いから出かけるのはやめにしたら、と念を押しました。

 ところが窓の外を見ると、隣の少女が教会に連れていってと合図するではありませんか。母に気づかれないように、こっそり起き出して、少女と一緒に教会に向かいました。間もなく二人は、みぞれと積雪に行く手をはばまれました。まさか、こんなことになるとは予想していませんでした。ついにどこにいるのかわからなくなり、とある垣根の下に縮こまっていました。そして、だれか助けに来てくれないかと心待ちにしていました。実際に私が現場に雪ましたが、見つけるまでは、怒りを通して不安に駆られていました。ピノトゥを肩車にし、少女を脇の下に抱え、みぞれの吹きすさぶ中をやっとの思いで我が家にたどり着きました。

・『マスコミの使徒 福者ジャッカルド神父』(池田敏雄著)1993年
※現代的に一部不適切と思われる表現がありますが、当時のオリジナリティーを尊重し掲載しております。

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