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最初の宣教師たち

教会の敷地に幼稚園を開園――日本と韓国の聖パウロ修道会最初の宣教師たち(25)

 労苦をいとわないパウロ神父が社会に向けて計画し実行した最初の活動は、当時、日本にとても多くいた子どもたちのための計画であった。パウロ神父はすでにイタリアで、小さな子どもたちの指導について豊富な経験があった。彼は「ジョルナリーノ」(子ども新聞)の編集長として、子ども向けのたくさんの記事を書いていた。それはおもしろくて、しかもとても分かりやすい文章であった。将来、パウロ神父は極東の国・日本でもこの仕事を「カトリック新聞」紙上で連載することになるのだが、今はこの王子地区で子どもたちのために安全で、温かな「巣」を準備する決心をしたのである。

 パウロ神父と一緒に外出して電車やバスに乗った時など、彼がほほ笑みながら老人や幼い子どもに席を譲り、小さな子どもたちの頭をなでていたのを、私は何度も見ていた。

 だから自分の教会の敷地に幼稚園を開園した時、彼は何歳も若返ったように思われ、ますます快活になり、「小さき者たちの、さらにまた小さき者」となった。子どもたちは心から彼になつき、喜びはしゃいで一緒に遊び回り、彼と子どもたちとのごく自然な信頼関係は周囲の人々を驚かせた。他の聖パウロ修道会の会員や幼稚園の先生、従業員たちは、そんなパウロ神父にいささか羨望の念を抱いた。

 王子における司牧の初期からパウロ神父は、日曜日ごとに子どもたちのための「巣」に関する構想を信徒たちに説明していた。ミサが終わると、彼は親や年配の信徒たちに意見を求め、その地域にいる女性の幼稚園教諭に関する情報も得た。彼は、まだ学校に通っていないカトリック信徒の子どもたちの最新のリストも準備していた。

 パウロ神父は自転車で、王子地域で活動している他の幾つかの幼稚園も訪問した。キリスト者が経営する幼稚園もあったが、それはカトリック系ではなかった。大部分の幼稚園は公立の幼稚園であった。

 そして間もなく、彼は具体的に動き出した。当局の認可を待たずにある大工さんを訪れて、子どもたちのために五十脚の机と椅子を注文し、計画の第一歩を踏み出したのだ。

 パウロ神父はすぐに、数名の女性の幼稚園の先生を見つけて来た。園児たちは男の子も女の子も、カトリックの子もそうでない子もみんな一緒に受け入れた。彼は区当局の認可を得て、一流の幼稚園を開園することに成功したのだ。この幼稚園は、その秩序、熱意、成果によってたちまちのうちに頭角を現した。

 園児たちのために遊具を整え、彼らの能力に合った数々のスポーツ用具を購入した。日本においてスポーツは、青少年教育における大切な基本の一つだからである。

 パウロ神父にとって、求道者に次いで彼の関心と使徒的熱意をかき立てるものは、子どもたちだったのである。それは彼が子どもたちの中に、幼いころから人生に向かって準備を積み上げていく「明日の大人たち」を見ていたからである。大きな「出版使徒職」の活動を始める前に、彼はまずその情熱を、幼児教育という社会的事業にささげたのである。

 パウロ神父は、園長の職務を優れた知性と豊かな教養を兼ね備えた一人の年配のカトリック女性に委ねた。彼女は長年にわたってその職務を忠実に果たし終え、今は主のみもとで永遠の安息に入っている。彼女は、パウロ神父からのカトリック幼稚園の管理運営という申し出を、熱意をもって心から受諾した。こうして主任司祭とこのすばらしい女性との協働によってカトリック幼稚園は誕生し、立派に成長を遂げ、王子区でも特に評価の高い幼稚園となった。

 幼稚園の話のついで、一人のかわいそうな男の子のエピソードを紹介したいと思う。

 それは実の母親に捨てられ、一人の会員が私たちの「子どもの巣」に連れてきた子どものことである。ある日の午後、道端で幼な子の激しい泣き声がしたので、一人の会員が驚いて立ち止まった。辺りを見回すと、家の玄関の前で六歳くらいの女の子が、火がついたように泣いている二~三歳の男の子を困り果てたように、しかし優しくなだめていた。

 神父は近づいていってその男の子をあやしながら、小さな姉になぜこの小さな子はそんなに激しく泣いているのか、訳を尋ねた。女の子は答えた。「お父さんは兵隊です。お母さんは私たちをかわいがってくれないで、けさ家を出て行ってしまいました。私たちにご飯もおかずも置いていきませんでした。それで弟はおなかがすいて、すいて……。よかったら何か食べ物を分けてくれませんか?」。

 この悲痛な言葉を聞いた神父はショックを受けた。彼は一瞬のためらいもなく、幼い男の子を自分の腕に抱き取り、そのあふれる涙をぬぐってやり、一生懸命慰めようとした。そして小さい姉の手を取って教会へと向かった。

 こうして飢えた二人の子どもは元気を取り戻し、やがて他の子どもたちがその周りに集まってきた。この二人は自分たちがみんなの注目と同情の的になっているのに気づき、口元に笑みが戻ってきた。女の先生は、特にこのかわいそうな二人のみなし子の世話をしてくれた。その時からこの「坊や」とその姉は、園児たちの仲間となり、ここで数年間一緒に学び、宗教教育も受けた。二人の子どもをあわれに思って連れ帰った神父は、彼らの成長ぶりを見てたいへん満足し、深い喜びを覚えたのである。確かに、この二人の子どもの将来を心配していた人々のうちで、一番幸せだったのは彼であり、彼はこのことを「神の摂理」としていつも感謝していた。

ロレンツォ・バッティスタ・ベルテロ著『日本と韓国の聖パウロ修道会最初の宣教師たち』2020年

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