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これってどんな種?

挨拶という種 待降節第4主日(ルカ1・39〜45)

 「苦しみ」は一人で抱え込むと苦しいままですが、それを人と分かち合うことで、小さくなります。逆に「喜び」は人と分かち合うことでもっと大きくなるのではないでしょうか。ある方が、私に「今日、孫が生まれたのです」と嬉しそうに話してくださいました。その話を聞きながら、いろいろな話題へと繋がってお互いの分かち合いが進んでいきました。

 きょうのみことばは、マリア様がエリサベトを訪問する場面です。きょうの箇所の少し前に、マリア様は、み使いガブリエルから「あなたは身籠って男の子を産む。その子をイエスと名づけなさい。」(ルカ1・31)と言われた後、「あなたの親戚エリサベトも、年老いていながら男の子を身籠っている。」(ルカ1・36)と聞かされました。このみ使いのお告を受けたマリア様は、旅立ちの準備をして【急いで】ユダの山地のある町に向かいます。マリア様は、まだ10代の初めの頃だったようですが、それでもいてもたってもいられず、心を突き動かされ親戚のエリサベトの所に向かわれます。

 マリア様は、およそ4日から5日をかけてご自分が住んでいるナザレからユダの山地まで旅をされたと思います。両親は心配だったでしょうが、それでも、マリア様の強い意志に負けたのかもしれません。今のように交通機関が発達してない時に、10代の少女が一人でユダの山地に向かうわけですから、いろいろな危険もあったことでしょう。しかし、マリア様は聖霊に満たされ、助けられ、マリア様もその導きに耳をすまされながら旅を続けたのではないでしょうか。マリア様はご自分の体の変化を感じられつつ、同じように神の恵みによって子を身籠った親戚のエリサベトの所に向かわれたのです。このことは、マリア様の優しさ、いつくみの愛の現れといってもいいでしょう。

 マリア様は、ザカリアの家に行かれ、エリサベトに挨拶をされます。ちなみに、エリサベトの家からザカリアの家は歩いて10分〜20分くらいのところでとても近い場所です。今は、エリサベトの家もザカリアの家も教会が建てられ、エリサベトの家には、世界中の言葉で『マリアの賛歌』がザカリアの家には『ザカリアの賛歌』が描かれています。マリア様は、3ヶ月の間ザカリアの家のエリサベトを訪ねると同時に、エリサベトの家にも行って他の親戚に会っていろいろなことを話され、ご自分も身籠った喜びを分かち合ったのではないでしょうか。

 さて、一方エリサベトは、マリア様の挨拶を聞いた時に、自分の胎内の子が踊るのを感じます。イスラエルでの挨拶は、「シャローム」と言いますが、「平和」という意味です。イエス様が復活されて弟子たちに現れた時、「あなた方に平和があるように」(ヨハネ20・21)と言われていますが、この時もイエス様は「シャローム」と言われたのではないでしょうか。マリア様の挨拶は、「シャローム」と言われた後に、み使いの挨拶の中にもあった「主はあなたとともにおられます」のような【祝福】の言葉も含まれた挨拶をされたのではないでしょうか。マリア様は、挨拶を通してお互いの身に起こったことを心に留め、喜びを分かち合ったことでしょう。

 エリサベトは、聖霊に満たされて声高らかに叫んで「あなたは女の中で祝福された方。あなたの胎内の子も祝福されています。」と言われます。もうこの言葉で二人の間に喜びで満たされているかわかるのではないでしょうか。エリサベトは、マリア様からの【祝福】の挨拶の言葉をいただきそれに応えるように「祝福された方」と【祝福】を返されていますし、マリア様だけではなく胎内のイエス様をも【祝福】しています。ここに同じ聖霊によって身籠ったエリサベトの愛がほとばしり、【叫び】として出てきたのではないでしょうか。

 エリサベトは「わたしの主の御母が、わたしのもとへおいでくださるとは、いったい、どうしたことでしょう。」と謙り、驚きの気持ちを表します。マリア様は、ナザレの小さな町の幼く名も知られていない少女でした。それに比べ、エリサベトは、祭司の妻であり周りの人からも敬われていたことでしょう。ですから、エリサベトのこの叫びは、自分の身分に関係なく身内であるマリア様への喜びとともに、【神の母】が自分の所に来てくださったことへの【喜び】が聖霊の働きとともに口に出たのでのしょう。

 エリサベトは、「あなたの挨拶の声が、わたしの耳に入ったとき、胎内の子が喜び踊りました。」と言います。エリサベトは、自分だけではなく、胎内の子の喜びを感じます。聖霊に満たされたマリア様の【挨拶】は、エリサベトの心の奥底まで響くほど、力とお恵みがあったのではないでしょうか。そしてこの喜びは、イエス様が誕生されるという喜びでもあるといってもいいでしょう。

 きょうみことばは、もうすぐ迎えるイエス様の誕生の【喜び】を私たちに分かち合っているような気がします。マリア様と胎内のイエス様、そして、エリサベトとヨハネが【喜び】と、聖霊に満たされた【時】を私たちに分かち合っているのではないでしょうか。私たちは、マリア様やエリサベトのように聖霊に満たされた【挨拶】の恵みを感じ、周りの人と分かち合えることができたらいいですね。

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井手口満修道士

聖パウロ修道会。修道士。 1963年長崎に生まれ、福岡で成長する。 1977年4月4日、聖パウロ修道会に入会。 1984年3月19日、初誓願宣立。 1990年3月19日、終生誓願宣立。 現在、東京・四谷のサンパウロ本店で書籍・聖品の販売促進のかたわら、修道会では「召命担当」、「広報担当」などの使徒職に従事する。 著書『みことばの「種」を探して―御父のいつくしみにふれる―』。

  1. 休むという種 年間第16主日(6・30〜34)

  2. 宣教に出かけるという種 年間第15主日(マルコ6・7〜13)

  3. 本質を見るという種 年間第14主日(マルコ6・1〜6)

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