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おうち黙想

第5回 黙想講話:マルジェラ/タグ(ラベル) ――「名を消す」神学 〜シランス・オートクチュール:ハイブランドで学ぶイエス・キリストの着こなしかた〜

1. 機能を放棄した「空白」

 メゾン・マルジェラの服を象徴するのは、ブランド名が記された豪華なロゴではありません。そこにあるのは、無機質な数字が並んだ白い布切れと、その四隅を留める、あえて露出された4本の粗いステッチだけです。
 本来、タグ(ラベル)とは「これは誰が作ったか」「何であるか」を保証するための、言わば「身分証明書」です。ラグジュアリーの世界において、その名は権威であり、所有する喜びの源泉でした。ところがマルジェラは、その最も重要な機能を、意図的に放棄しました。
 なぜ、名を消したのか。それは、「意味を最終確定させないため」ではないでしょうか。この服は何者なのか。誰の作品なのか。その答えを作り手の側から一方的に与えない。あえて「空白」を残すことで、その服の真の意味を、着る人の身体と、共に過ごす時間に委ねたのです。この「名を退かせる」という謙虚な態度は、私たちが神という究極の他者と向き合う際の、最も誠実な姿勢と重なります。

2. 「定義の拒絶」と「存在の開示」

 聖書において、神はしばしば「名を隠す方」として現れます。出エジプト記において、燃える柴の前でモーセが「あなたの名は何ですか」と尋ねたとき、神は「わたしはある、という者だ(エヘイェ・アシェル・エヘイェ)」という言葉を返されました。
 これは単なる説明でも、単なる回避でもありません。人間側の「名付けて管理したい」という一方的な定義を拒みつつ、同時に「私は私として、今ここであなたと共に在る」という、圧倒的で積極的な自己開示なのです。
 マルジェラがタグから名前を消したように、神もまた、人間が作り出した「神」というラベルの中に閉じ込められることを拒まれます。私たちが「神とはこういう方だ」と型に嵌めて安心しようとした瞬間、神はそのラベルをすり抜け、沈黙の奥へと身を退かれます。しかしそれは、神が不在なのではなく、名前によって所有される対象であることを超えて、ただ「在る」方として私たちの人生の背後にそっと縫い留められているということなのかもしれません。

3. 十字架の上で剥がされた「ラベル」

 新約聖書におけるイエス・キリストの生涯もまた、ラベルを剥ぎ取られ続けるプロセスでした。イエスは人々の期待する「政治的な王」や「英雄」といった役割から常に身を退き、その最期、十字架の上で完全に「名を失う」ことになります。
 十字架の頭上に掲げられた「ユダヤ人の王」という札は、嘲笑としてのラベルでした。救い主としての力も、神の子としての特権も、すべての肯定的なラベルが剥ぎ取られ、ただ一人の「名もなき受難者」として息を引き取った。
 神は、最も決定的な救いの場面において、栄光の名前を捨てることを選ばれました。マルジェラのタグが、あえて「仮縫い」のように脆く留められているように、イエスの身分もまた、この世の権威によって固定されることはありませんでした。しかし、その「名を失った姿」の中にこそ、神の愛の正体が最も純粋な形で現れていたのです。

4. 「名前」を失ったあとに残るもの

 マルジェラのタグは、着る人に静かな、しかし鋭い問いを返します。「あなたは、自分に貼られた名前をすべて失ったとき、なお誰でいられるのか」。
 私たちは日々の生活の中で、あまりにも多くの「ラベル」に依存しています。職業、肩書き、学歴、あるいは「善良な信徒」という自己イメージ。それらの名前があることで、私たちは自分が何者であるかを確信し、安心しようとします。
 しかし、本当の信仰とは、それらのラベルがすべて剥ぎ取られた「空白」の地平に立つことです。役割を失い、評価を失い、自分を定義する言葉を失う経験の中で、私たちは初めて、マルジェラの白いタグのような、剥き出しの自分自身に出会います。そこで問われるのは、何ができるかではありません。ただ、名前を呼ぶ必要さえなくなった深い沈黙の中で、神の前に「在る」ことができるかどうかです。

5. 黙想の終わりに

 私たちはプラダの違和感に留まり、 ヴィトンと共に荒れ野を行き、 シャネルの重みで立ち上がり、 エルメスの静かな信頼に身を委ね、 そして最後に、マルジェラの白いタグの前で、すべての名前を脱ぎ捨てました。
 祈りとは、神に名前を連ねて何かを要求することではありません。最も深い祈りは、自分を説明する必要も、弁明する必要もなくなった沈黙の中で起こります。神と自分との距離が消えるとき、私たちは本当の意味で自由になります。
 名を失っても、意味を与えなくても、あなたはなお、神の愛の中で「在り続ける」ことができる。その圧倒的な自由が、あなたの人生には、すでに4本の白いステッチとして縫い留められているのです。

【黙想のための問い】
もし今日、あなたの「肩書き」や「名前」がすべて消えてしまったとしたら、あなたの手元には何が残るでしょうか。その「残ったもの」を、神様はどう見つめておられると思いますか。

※補足:マルジェラのタグについて 1988年の設立当初から続くこの白い布(カレンダータグ)は、ブランド名という権威を取り除き、服そのもののデザインや質に目を向けてほしいというデザイナー、マルタン・マルジェラの意図によるものです。四隅を留める白い糸は、本来は「購入後に切り離されること」を想定した仮縫いの名残であり、ブランドの匿名性を象徴しています。

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カトリック司祭。愛媛県松山市出身の末っ子。子供の頃から“甘え上手”を武器に、電車や飛行機の座席は常に窓際をキープ。焼肉では自分で肉を焼いたことがなく、釣りに行けばお兄ちゃんが餌をつけてくれるのが当たり前。そんな末っ子魂を持ちながら、神の道を歩む毎日。趣味はメダカの世話。祈りと奉仕を大切にしつつ、神の愛を受け取り、メダカたちにも愛を注ぐ日々を楽しんでいる。

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