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これってどんな種?

地の塩、世の光という種 年間第5主日(マタイ5・13〜16)

 私たちの生活の中で「塩」は、欠かせないものではないでしょうか。一般的には、調味料として用いられますし、腐敗防止や「清め」のためにも使われます。さらに、塩は、古代ローマ兵には、給料として塩が与えられていたようです。

 きょうのみことばは、イエス様が「あなた方は地の塩である」「あなた方は世の光である」と言われる場面です。イエス様は、山に登られそこで、「自分の貧しさを知る人は幸いである」と話された後に、今度は、「あなた方は地の塩である」「あなた方は世の光である」と人々に教えられます。

 イエス様の所には、弟子たちの他に、貧しい人、虐げられ、蔑まれている人、迫害されている人、イエス様の教えや奇跡に癒された人たちが集まっていました。そのような人に対してイエス様は、「あなた方は地の塩である」、「あなた方は世の光である」と言われます。イエス様のこの二つの言葉は、「あなた方は地の塩のようになりなさい」とか「あなた方は世の光のようになりなさい」という指導や目標ではありません。もうすでに「地の塩であり、世の光である」と言われているのです。

 イエス様の所に集まった弟子たちをはじめ、多くの人々にこのイエス様の教えはどのように響いたのでしょうか。「よし、自分は地の塩として、また、世の光として生きよう」と思ったでしょうか。それとも、「とんでもない、自分のように貧しく、弱い者がそんな『地の塩』とか『世の光』であるはずがない」と思ったでしょうか。多分、多くの人が後者のように思ったことでしょう。もちろん、彼らの思いは、今の私たちの思いでもあることでしょう。

 しかし、イエス様は、私たち一人ひとりがすでに「地の塩であり、世の光である」と言われているのです。では、この二つの言葉は、どのような意味なのでしょうか。イエス様は、「もし塩がその持ち味を失ったなら、どうやってそれを取り戻すことができるだろうか。もはやその塩は何の役も立たず、外に投げ捨てられ、人に踏みつけられるだけである」と言われます。このように、見てみますと「あなた方は地の塩である」という言葉は、私たちに与えられた【役割】であったり【生き方】であったりという、私たちそのものという意味ではないでしょうか。さらに、深く見ていきますと、私たちに与えられた三位一体の神からの【愛】であり【恵み】と言ってもいいでしょう。

 私たちが頂いた【愛】や【恵み】を無駄にするということは、イエス様が言われる「塩がその持ち味を失う」ということになるのです。私たちは、イエス様から「あなた方は地の塩である」と言われて、「私はとてもとてもそのような『地の塩』であるはずがない」と思う時、すでに、「外に投げ捨てられ、人に踏みつけられる」ということになるのではないでしょうか。イエス様の「あなた方は地の塩である」という言葉は、とても厳しい言葉でもあるのです。

 ただ、イエス様は、「塩」を用いて「塩は善いものである。しかし、もし塩がその塩味を失ったなら、何をもって塩気を取り戻させようか。あなた方自身のうちに塩を持ち、互いに平和を保ちなさい」(マルコ9・50)と言われています。この中で用いられている塩は、民数記にあります「主の前でお前とお前の子孫に対する永遠の塩の契約である」(民数記18・19)とあるみ言葉と同じ意味で、友情と契約の徴として用いていたことで、「塩を持つ」ということは、イエス様の教えと恩恵を保ち、兄弟的一致の契りを固めるという意味のようです。このように見ますと、私たちが【地の塩】ということは、イエス様とまた、信仰を持った周りの人との友としての【徴】ということにもなるのではないでしょか。

 イエス様は、「あなた方は世の光である」と言われます。この言葉も「地の塩」と同じように私たち一人ひとりのことを言っておられます。イザヤ書には、「飢える人にお前のパンを分かち与え、家のない貧しい人々に宿を与え、……その時、お前の光は暁のように輝き出で、お前の癒しは速やかに生じる。」(イザヤ58・7〜8)、「飢える者のために尽くし、虐げられる者の必要を満たすなら、お前の光は闇の中で輝き出で、お前の暗闇は真昼のようになる」(イザヤ58・10)とあります。イエス様の所に集まった人たちは、すでに、貧しい人たちであり、迫害にあっている人たちでした。イエス様は、そのような人たちに周りの人への善行を行うことで、あなたの癒しは速やかに生じ、あなたの暗闇は真昼のようになると言われているのでしょう。

 私たちは、イエス様と関わってしまうとその【愛】や【恵み】を隠すことができません。私たちがどんなに弱く、貧しくてもイエス様への愛を自分の中にしまうことはできず、自ずと周りの人たちに分かち与えてしまうのではないでしょうか。イエス様は、「……家にいるすべての人々のために輝く。このように、あなた方の光を人々の前で輝かせなさい。そうすれば、人々はあなた方の善い行いを見て、天におられるあなた方の父を褒めたたえるであろう」と言われます。

 私たちは、おん父から頂いた「地の塩」「世の光」という恵みを用いながら、日々の生活の中でイエス様のみことばを伝えることができたらいいですね。

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井手口満修道士

聖パウロ修道会。修道士。 1963年長崎に生まれ、福岡で成長する。 1977年4月4日、聖パウロ修道会に入会。 1984年3月19日、初誓願宣立。 1990年3月19日、終生誓願宣立。 現在、東京・四谷のサンパウロ本店で書籍・聖品の販売促進のかたわら、修道会では「召命担当」、「広報担当」などの使徒職に従事する。 著書『みことばの「種」を探して―御父のいつくしみにふれる―』。

  1. 地の塩、世の光という種 年間第5主日(マタイ5・13〜16)

  2. 真の幸せという種 年間第4主日(マタイ5・1〜12a)

  3. 証しするという種 年間第2主日(ヨハネ1・29〜34)

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