書籍情報、店舗案内、神父や修道士のコラムなど。

カトリック入門

第220回 旧約の律法と福音の法【動画で学ぶ】※レジュメ字幕付き

1 旧約の律法
*創造主であり贖い主である神は、イスラエルをご自分の民に選び、ご自分の法を啓示して、民をキリストの到来に備えられました。モーセの律法には理性によって自然に把握できる真理が数多く述べられていますが、それらの真理は救いの契約の中で宣言され、確証されています。
*旧約の律法は、啓示された法の最初の形です。その道徳的掟は十戒に要約されています。十戒は、神にかたどって造られた人間の召命の土台を据えるものです。神への愛と隣人愛とに背くことを禁じ、その愛にとっては本質的なことを命じています。十戒とは、人間に神からの呼びかけと神への道を示し、人間を悪から守るための、すべての人の良心を照らす光なのです。
*キリスト教伝承によれば、聖なるもの、霊的なもの、よいものであるモーセの律法は、まだ不完全なものです。律法は養育係のようなもので、行われなければならないことを示しはしますが、これを実行するための霊の力や恵みをそれ自体が与えるものではありません。律法は罪を取り除くことができないので、罪に対しては隷属的な立場にある法にすぎません。聖パウロによれば、律法はとくに、人間の心の中で「情欲の法」を形づくる罪を告発し、明らかにする役割を負っています。それにもかかわらず、律法が神の国に向かう歩みの第一の道程であることに変わりはありません。律法は、選ばれたイスラエルの民や各キリスト者を回心と救い主である神への信仰とに備えさせます。また、神のことばとして永続する教えを明らかにするのです。
*旧約の律法は、ある種の福音への準備です。「律法は、彼らにとっての教えでもあり、来るべき現実の預言でもありました」。律法は、キリストによって実現される罪からの解放の業を予告し、前もって告げ知らせるものであり、霊に基づいた生き方を表すための表象や「予型」、象徴などを新約聖書に提供するものなのです。さらに律法は、それを新しい契約や天の国へと方向づける旧約聖書の知恵文学や預言書によって、より完成されらものになっていくのです。

2 福音の法
*福音の法(新しい法)と呼ばれるものは、自然な形や啓示された形で与えられた神法のこの世における完成した形です。これはキリストの業であり、特に山上の説教の中で明らかにされています。これはまた、聖霊の業でもあり、聖霊によって心の中の愛の法とされるのです。
*新しい法は、キリストへの信仰によって信者に与えられた聖霊の恵みです。この法は愛の実践を伴うもので、私たちが行わなければならないことをキリストの山上の説教を用いて教え、それを実行させる恵みを、秘跡を通して与えます。
*福音の法は、旧約の律法を完成させ、磨き上げ、超越させ、完全なものにします。神の約束を真福八端の中で高め、「天の国」に方向づけることによって、完成させます。福音の法は、信仰をもってこの新しい希望を受け入れたいと願う貧しい人々、謙虚な人々、苦しむ人々、心の清い人々、キリストのために迫害される人々に向けられています。このように、福音の法は、神の国の意表をつく道を示すものです。
*福音の法は、律法の掟を完成させます。キリストの山上の説教は、旧約の律法の道徳的掟を廃止したり価値を下げたりすることなく、その潜在力を引き出し、新たな要求を明らかにします。つまり、律法が有している神的・人間的真理の全体を明らかにするのです。新しい外的な行為に関する掟を付け加えはしませんが、行為の源である心を徹底的に改めさせようとします。
*新約の法は施しや祈り、断食などの敬神の行為を、「人に見られたい」望みに逆らい、「隠れた所で見ておられる御父」に向けて実践させます。その祈りは「主の祈り」です。
*福音の法には「二つの道」のうちのいずれかを決定的に選択することと、キリストのことばを実践することが含まれていますが、その内容は次の黄金律にまとめられています。「だから、人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたにも人にしなさい。これこそ律法と預言者である」(マタイ7・12)。福音の法全体は、イエスの新しい掟、すなわち、イエスが私たちを愛されたように互いに愛し合う、という掟に含まれます。

RELATED

PAGE TOP