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カトリック入門

第217回 社会生活への参加【動画で学ぶ】※レジュメ字幕付き

1 権威
*「人間社会は、政党に権威を賦与されて、秩序を維持し、最小限、共通善のために尽くす人々がいないならば、秩序のある豊かな社会ではありえません」。
「権威」とは、人々に法と命令とを与え、受けた人々はそれに従わなければならないような、個人ないし団体の資格を言います。
*すべての人間共同体は、自らを統御する権威を必要とします。権威は人間の本性に基づくもので、市民社会の統一に必要なものです。その役割は、社会の共通善を最大限に保証することです。
*倫理的秩序のために必要となる権威は、神に由来するものです。「人は皆、上に立つ権威に従うべきです。神に由来しない権威はなく、今ある権威はすべて神によって立てられたものだからです。したがって、権威に逆らう者は、神の定めに背くことになり、背く者は自分の身に裁きを招くでしょう。
*権威は神が定められた秩序に由来するものですが、「政治体制の決定と政府の指名は国民の自由意志に任せられています」。
 政治体制の違いは、倫理的に容認されますが、それぞれの体制を採用した共同体の合法的な善に寄与するものでなければなりません。自然法や、治安ならびに基本的人権に反する政治体制は、それが統治する国家の共通善を実現することはできません。
*権威の倫理的正当性は、権威そのものに起因するのではありません。したがって権威者は、専制的にふるまわず、「自由と責任感に根差す道徳的力として」共通善のために行動しなければなりません。
*権威が合法的に行使されるのは、その権威のもとにある集団の共通善を追求し、それをえるために倫理的にゆるされる手段を用いる限りにおいてです。指導者が不正な方を発布したり倫理秩序に反する措置を講じるような場合の命令は、良心を拘束することはできません。「そのような場合には、権威は権威であることをやめ、圧制となります。」

2 共通善
*人間の社会的本性ゆえに、個々人の善は必然的に共通善と結ばれています。他方、共通善は個人を考慮することなしには決定されません。
*共通善とは「集団とその構成員とが、より完全に、いっそう容易に自己の完成に達することができるような社会生活の諸条件の総体」である、と理解すべきです。共通善はあらゆる人の生活にかかわります。一人ひとりの側にはもとより、権威を行使する人々の側にはいっそうの賢明さが必要です。共通善には三つの本質的要素があります。
➀第一に、個人をその人であるがゆえに尊重することです。共通善を実現するために、公権は個人が持っている基本的で奪いえない人権を尊重しなければなりません。社会は、その構成員の一人ひとりがそれぞれの召命を実現できるようにしなければなりません。共通善はすべて、人間の召命の実現に欠くことのできない本来の自由、例えば「正しい良心に従って行動する権利、プライバシーを守る権利、宗教の分野をも含めて正当な自由を享受する」権利を行使する諸条件を整えることを要求します。
②第二に、共通善は集団の社会的安寧と発展とを求めます。すべての社会的任務を要約すれば、発展ということばで表現することができます。いうまでもなく、異なる個々の利害を共通善に応じて判定するのは権限者の務めです。しかし、権威者は、それぞれの人が真に人間らしい生活を送るために必要なもの、例えば食料、衣服、健康、仕事、教育や教養、適正な報道、家庭を作る権利などを手に入れやすくなるように図らなければなりません。
③第三に、共通善には平和、すなわち、正しい秩序の持続や保全という内容が含まれています。したがって、権威者は適正な手段を用いて、社会とその構成員との安全を図らなければなりません。共通善こそが、個人および集団の合法的防衛権の土台になるものなのです。
*各共同体にはそれぞれに認められた共通善がありますが、共通善を完全に実現するのは政治共同体です。市民生活やその住民、および中間団体の共通善を擁護し、促進させるのは国家の務めです。
*人間の相互依存は強まり、しだいに世界全体へと広がっています。本来平等の尊厳を持つ人々が一つの人類家族を形作っているのですから、普遍的共通善を認めなければなりません。この普遍的共通善を実現するためには、国際的組織を作り、「人々の種々の必要を満たすようにしなければなりません。この必要とは、社会生活の領域においては食料、健康、教育であり、ある所に起こりうる特殊な情況においては、全世界に離散した難民の救済、移住者とその家族に対する援助などです」。

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