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おうち黙想

栄えの神秘 教皇フランシスコとともに歩くロザリオの祈り

 このたび、教皇フランシスコがその生涯を終え、神のもとへと帰られました。
 その知らせは、全世界の教会に静かな深呼吸のような沈黙と、深い感謝の祈りをもたらしました。
 彼は語る人である以上に、聴く人でした。歩む人であり、待つ人でした。
 そして何より、福音の言葉を、貧しさ、傷つき、沈黙の中に置き直した人でした。
 いま、私たちは聖母マリアとともにロザリオの祈りを唱えながら、この教皇の霊性と生涯をひとつひとつの玄義に重ねて黙想していきます。
 それは彼を追悼する祈りであると同時に、彼が生きた福音をわたしたち自身の歩みに受け継いでいく、信仰の旅でもあります。
 彼が耳を傾けた小さな声、彼が信じた神のあわれみ、彼が祈りの中で見上げていた沈黙の光。
 それらが、ロザリオの一連一連のうちに、静かに浮かび上がってきますように。
 どうかこの祈りが、永遠のいのちに迎えられた教皇フランシスコの魂への賛美と感謝となり、
 そして、彼が地上で蒔いた福音の種を、今を生きる私たちが受け取るための時間となりますように。

栄えの神秘

第一の神秘:主の復活

 「復活とは、過去に戻ることではありません。それは、傷を負ったままの現実を、あらたに抱きしめる力を得ることです。…主は、すべてが崩れたと思われた場所に、あらたな始まりを与えられました。…弟子たちは、裏切りや恐れの記憶を持ったまま、主の平和に出会ったのです。
 それこそが、福音の復活の力です。すべてを解決することではなく、壊れた現実の中に神の光を見いだすこと。それがわたしたちを立ち上がらせるのです。」
 — 2020年4月11日、復活徹夜祭
 フランシスコにとって「復活」とは、神の力によってすべてが「元通りになる」奇跡ではありません。彼の眼差しはいつも、傷が残ったままの体、壊れた関係、敗北の記憶を抱えながらも歩き始める人々に注がれていました。
 復活は、人生が「それでも続く」という決意のようなものであり、その中に神が共にいてくださるという静かな確信です。
 祈り:
 復活された主よ、教皇フランシスコがこの地上で証ししてきた「傷をもって生きる希望」を、天の光のうちに完成させてください。
 彼が語った一つひとつの言葉が、今も私たちのうちに生き、あなたの復活の力となって世界に注がれますように。

第二の神秘:主の昇天

 「主は天に上られましたが、それはわたしたちを置いていかれたということではありません。
 むしろ彼は、あらゆる場所に、あらゆる人に、あらゆる現実の中に臨在することができる方となられたのです。
 ですから、弟子たちは天を仰ぐことをやめ、地上にとどまって使命に生き始めました。
 教会は、空ではなく“人間の歴史の中”に主を見出し、仕えることによって主をあらわすのです。」
 — 2019年6月2日 昇天の主日・アンジェラス
 フランシスコの昇天理解は、極めて現代的かつ具体的です。
 キリストが「見えなくなった」ことは、神が遠くに行ったのではなく、見えないかたちで「もっと近く」おられるようになったということ。
 教皇はこの神秘を通して、地上の現実に根を下ろしながら、永遠の命の光を見出すという教会の使命を再確認してきました。
 祈り:
 天に上られたキリストよ、教皇フランシスコの魂を、あなたの栄光のうちに迎え入れてください。
 彼が見えないあなたの臨在を信じ抜き、苦しむ世界の中に光を指し示してきたその労苦を、あなたのもとで豊かに報いてください。

第三の神秘:聖霊の降臨

 「聖霊は、わたしたちを“内向き”の教会から解き放ちます。
 扉を閉じ、恐れの中にとどまろうとする心に、聖霊は大胆な風を吹き込むのです。
 その風は、すべてを整えるものではなく、しばしば“混乱”を伴いながら、しかし確かに新しさを生み出します。
 わたしたちは『出ていく勇気』を祈らなければなりません。教会の使命は、守ることではなく、生きることです。」
 — 2013年 聖霊降臨の主日のミサ
 「出ていく教会」という言葉は、教皇フランシスコの教導全体を貫く信仰の姿勢です。
 それは単なる活動主義ではなく、聖霊に押し出される教会の“生きた呼吸”でした。
 彼にとって、聖霊は秩序を保つ存在ではなく、生命の律動そのもの。予測不能な神の導きの中で、彼はその風に身をまかせ続けました。
 祈り:
 聖霊よ、あなたの息吹の中で、教皇フランシスコの魂がやすらぎますように。
 彼が風のように軽やかに、福音の新しい道を開いてくださったことを感謝し、その霊の息遣いが今も教会に満ち続けますように。

第四の神秘:マリアの被昇天

 「マリアは、人生のすべての段階において、“神の御言葉を心にとどめる人”でした。
 疑い、沈黙、失望、涙の中でさえ、彼女は一貫して“覚えていた”のです。
 だからこそ、彼女はただ地上の苦しみの象徴ではなく、完成された希望のしるしでもあるのです。
 被昇天のマリアは、私たちの苦しみが“無意味ではない”という神の答えです。」
 — 2017年8月15日 被昇天のミサ
 教皇はマリアを、苦しみのない「清らかな象徴」としてではなく、人生の重さと不確かさを生き抜いた者として見つめていました。
 だからこそ彼女の被昇天は、未来の理想ではなく、わたしたちが地上の現実を歩むための力となります。
 教皇もまた、沈黙の中に神の語りかけを聴き続けた一人の信仰者でした。
 祈り:
 神よ、マリアが天に迎えられたように、あなたに仕えた教皇フランシスコの魂を、永遠の喜びのうちに迎え入れてください。
 その沈黙と信頼の歩みが、天のマリアの微笑みとともに、あなたの国の完成に連なるものでありますように。

第五の神秘:マリアの戴冠

 「マリアの冠は、支配の証ではありません。
 それは、彼女が目立たないところで仕え続け、黙って愛し抜いた人生への、神の応答です。
 真の栄光とは、自分を低くし続けた者に与えられるもの。
 その栄光は、柔らかく、強く、そして静かです。」
 — 2021年8月22日 天の元后の祝日
 この神秘は、フランシスコの霊性において特に深い共鳴を持ちます。
 「小さくあること」「語りすぎず、ただ共にあること」——それが彼の福音理解の根底にありました。
 マリアが冠を受けたように、教皇フランシスコもまた、仕える者として歩み抜いた人生の果てに、神のまなざしの中で高くされたと信じることができます。
 祈り:
 主よ、静かな忠実のうちに仕えてきた教皇フランシスコに、あなたの冠をお与えください。
 この地上で誰にも気づかれなかった祈りと愛のすべてが、いまあなたの栄光に包まれていますように。

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大西德明神父

聖パウロ修道会司祭。愛媛県松山市出身の末っ子。子供の頃から“甘え上手”を武器に、電車や飛行機の座席は常に窓際をキープ。焼肉では自分で肉を焼いたことがなく、釣りに行けばお兄ちゃんが餌をつけてくれるのが当たり前。そんな末っ子魂を持ちながら、神の道を歩む毎日。趣味はメダカの世話。祈りと奉仕を大切にしつつ、神の愛を受け取り、メダカたちにも愛を注ぐ日々を楽しんでいる。

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