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マスコミの先駆者アルベリオーネ神父

37. 失敗~飛躍を学ぶ――マスコミの先駆者アルベリオーネ神父

 創立以来三年目の一九一七年(大正六年)のことである。アルバ州のクネオ市に、ロ・ステンダルド(Lo Stendardo=旗)というカトリック日刊新聞を発行していた小さな印刷工場があった。ちょうど第一次世界大戦のことで、印刷工員が兵隊に召集され、工場は経営難におちいっていた。

 それで、この新聞の編集長がアルベリオーネ神父に「少年たちを幾人かよこしてください。あなた方に印刷工場を任せますから……」と頼みこんできた。さっそく三人の少年が遣わされ、二、三日、旧式のドイツ製印刷機を回しながら、どうにか働いたが、結局うまく行かず、失敗して帰ってきた。

 その後また、第一次世界大戦後の一九一九年中にストライキがあり、トリノのイル・モメント(Il Momento=現時点)という日刊新聞を出していた新聞社が人手不足で困っていた。それで聖パウロ会の青少年たちが、頼まれて十名ほど、その新聞社へ働きに通った。

 大戦後のことで、政治も経済も不安定であり、失業者も増大し、神父たちは不況の元凶みたいに攻撃の槍玉にあげられた。モメントの編集長は、ある司祭であったが、新聞を毎日出さなくてはいけないので、ストライキをした労働者たちを解雇し、その代わりにアルベリオーネ神父の若者たちを呼んだのである。

 その中の一人トロット・セバスチアノは大尉で退役していたが、その大尉の軍服を着用し、腰には軍刀を引っさげて新聞社に来ていた。不安な社会情勢の中で、まわりににらみをきかせ、働いている若者たちを防衛するためであった。

 いよいよ仕事を始める段になると様々の困難にぶつかった。まず活字を組むリノタイプ機が何台か労働者らによってこわされている。それを修理できる技術者もいなければ、部分品もない。それで活字を手で拾って植字と組版をし、校正にかける。夜通し仕事をしなければ間に合わないので、交代で工場の片隅で仮眠する。頭もからだもくたくたになる。

 毎日こんな状態では、よい印刷物が出るはずがない。輪転機から出てくる印刷物には、誤字があるし、行のずれている箇所もある。これでは毎日どうしても新聞を出せない。ストをしている労働者たちが、いつも工場のまわりをうろうろして、若者の失敗をあざわらっていた。

 しかし、印刷が上手にできあがると、びっくりしたような顔つきをする。昼間は工場の屋根の数名武装した労働者が見張りをし、夜間も工場の中をのぞき込んで様子をうかがっていた。

 パウロ会の若者は、三、四名のグループをつくり、歩いて工場へ通っていた。アルベリオーネ神父も、それらの若者に護衛されながら歩いていた。

 ある夜、その若者の一人が少し遅れて歩いていると、何名かの労働者に呼びとめられ、「おれたちといっしょに来いよ」とさそわれた。そして一人がピストルを取り出して言った。「これは、おまえたちの親分(アルベリオーネ神父)を、消すためのものだ。一人でいる所を見つけたならな」と。

 かれらは、パウロ会の若者たちが武装しているものとばかり思っていた。実際そうである。神に守られながら信仰で武装していたのである。

 一か月ほどイル・モメント紙をやってみたが、機械はうまく動かなくなるし、新聞の仕上がりもよくない。そんな情況の中でアルベリオーネ神父は、いつも落ち着き払い、ほほえみさえ浮かべて若者をはげましていたが、いよいよ仕事の続行が不可能とみると「この仕事は神様のみ旨ではない……」と言って、モメント紙の仕事をやめ、全員アルバに引き上げた。

 またピザのイル・メッサジェロ・トスカノ(Il Messaggero Toscano=トスカノ通信)という日刊新聞の責任者マッフィ枢機卿から頼まれて聖パウロ会の青少年が働きに出かけたが、これも一か月とたたないうちに失敗して帰って来た。

 以上、三つの失敗によって、次の結論に達した。私どもが、ただの印刷屋として、よその本やよそで編集したものを印刷するだけではだめだ。どうしても私どもが、より大きな工場と機械をもち、今までよりもいっそう編集・印刷・販売の組織を強化し、マスコミの専門家として独自の出版物を出し、神のみことばの宣布や司牧に奉仕しなければならない、と。アルベリオーネ神父は、のちに、こう述べている。

 「落胆してはいけない。いつも健全な楽天家でありなさい。歴史は生活の教師である。わたしたちの過去の経験は、将来のため勉強となる。戦いに負けたとしても、私たちは生きる限り、もう一つの戦いに勝つ時間が与えられている。善意を持っている限り、『すべては全のために協力する。』

 よくなしたことによって、私たちは神に光栄を帰する。よくなし得なかったことのために謙虚になり、よりよく再び始めることができるようにと祈る。最も恐ろしい誘惑は失望である。しかし、最も、ありふれた誘惑は、半ばあきらめることである。信仰は第一番目の徳であるが、第二番目の徳は希望である。」

 実際に、アルベリオーネ神父が、パウロ家の工場と機械をもってマス・コミ使徒職をどう発展させたか、その過程をたどってみよう。

・池田敏雄『マスコミの先駆者アルベリオーネ神父』1978年
現代的に一部不適切と思われる表現がありますが、当時のオリジナリティーを尊重し発行時のまま掲載しております。

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