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月刊澤田神父

「月刊 澤田神父」2021年10月号(#5 キリストこそわたしのうちに生きておられる:ガラテヤ2・20)

聖パウロ修道会の司祭として育てられ、生かされて
 私事になりますが、今年6月29日にわたしは司祭叙階25周年を迎えました。そのための記念ミサと祝賀会を11月3日におこなってくれることになりました。このような状況の中ですので、残念ではありますが、親戚や知人などを呼ぶことはせず、修道会の会員とサンパウロの社員だけでおこないます。
 誓願宣立70周年のブラザーも一緒にお祝いされます。このブラザーの70年という長さに比べれば、わたしの25年は短いものですが、それでもこの25年を聖パウロ修道会の司祭として生きてきたことに感謝したいと思います。まずは、三位一体の神に対して、特に師であるイエス・キリストに対して、そして使徒の女王聖マリアと使徒聖パウロに対して。それから、聖パウロ修道会の兄弟たちに対して。もちろん、家族、親戚にも本当に感謝していますが、自分はこの修道会の使命と霊性の中で育てられ、生きてきたと思うからです。

道・真理・いのちである全面的な師イエスを生き、すべての人に全面的に伝える
 聖パウロ修道会は、ヤコブ・アルベリオーネという司祭によって1914年に創立されました。アルベリオーネ神父は1884年に北イタリアのピエモンテに生まれ、ヨーロッパ全体が、そして教会が激動の時代だったときに育ち、教区司祭となりました。しかし、当時、大きな力を持っていた印刷、出版による福音宣教をするために神から招かれていると確信し、教区から離れ、聖パウロ修道会を創立します。今でこそ出版による福音宣教は通常のこととなりましたが、当時の教会では「うさん臭いもの」、「教会の敵対者が用いるもの」と考える人も多かったのです。だから、苦難の中での出発でした。
 そのような苦難の中でも、アルベリオーネ神父はこの福音宣教のはたらきを進めていきました。それは、このはたらきが神から与えられたものであることを確信していただけでなく、このはたらきがわたしたち人間のわざではなく、神のわざであると確信していたからです。アルベリオーネ神父は、父である神がわたしたちに独り子イエスを「師」、「先生」として、しかも全面的な「師」として与えてくださったと理解しました。単に言葉で教えるだけでなく、みずから救いへの道、御父への道を歩んでくださり、わたしたちのいのちとなって、救いへの原動力となってくださる師。そう、わたしたちの中に生きてくださり、わたしたちの中でこの師イエスこそが感じ、考え、判断し、望み、生き、愛し、人々とかかわってくださる。だから、自分の中で生きてくださる師イエスを喜びをもって受け入れる人のはたらきは、師イエスのはたらきであり、師イエスご自身が相手にはたらきかけ、その人の中に入っていき、生きるようになる。聖パウロ修道会の使徒職はまさにそうなのだ。創立者アルベリオーネ神父はこのことを確信し、その模範を使徒聖パウロの中に見ていたのです。
 わたしたち聖パウロ修道会の会員は、この霊性と使命を生きています。いや、わたしたちは弱い人間ですから、師イエスによってこの霊性と使命を生きることができるようにしていただいていると言ったほうがいいでしょうか。
 それぞれの修道会には固有の典礼暦があります。師イエスに対するアルベリオーネ神父のこの思いにより、わたしたちパウロ家族の典礼暦では、10月最後の主日、今年は10月31日を「師イエス・キリストの祭日」として祝います。実現はしませんでしたが、アルベリオーネ神父はこの「師イエス・キリストの祭日」を全教会共通の祭日として祝うように願っていました。
 アルベリオーネ神父は1971年11月26日に亡くなりました。そして、2003年に列福されました。福者アルベリオーネ司祭の典礼上のお祝いは帰天の日である11月26日に定められました。今年は、アルベリオーネ神父帰天50周年にあたります。
 思えば、わたしは聖パウロ修道会の司祭として、福者アルベリオーネ神父が受けた神のみ心の中で育てられ、生きてきました。アルベリオーネ神父の思いの奥底に少しでも分け入りたい、それを多くの人と分かち合いたいと思って生きてきました。パウロの中に、そしてアルベリオーネ神父の中に、師イエス・キリストが生きてくださり、彼らを内側から駆り立てたように、わたしも師イエス・キリストとそのようなかかわりを築きたいと歩んできました。このアルベリオーネ神父帰天50周年の記念の日に向けて、一人でも多くの人がその思いに触れ、共鳴していただければと思います。

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