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信心のすすめ

死と死後の世界──信心のすすめ(19)

 「主に帰る人は、その家族を置き去りにするのではない」(聖ヒエロニムス)

 しばらく間、姉妹なる死は、私たちのところをおとずれませんでしたが、短期間のうちに、次ぎ次ぎと、訪れてきました。

 修道会は、修道者の家族です。親愛なる三人の兄弟がもう一つの家、天父の永遠の家に旅立ちましたが、彼らは、パウロ家族を置き去りにしたのではありません。「生命はかえられるが、取り去られるのではない」のです。

 修道家族は、天国と煉獄と地上にその会員を持つことができます。愛の交換と修道的きずな、相互の助け合いと関係は、たち切れるものでなく、むしろ、改善されるのです。天国のパウロ会会員は、天国への最後の準備をしている会員と、まだ地上にあって、天国の宝をつんでいる会員のために祈っています。煉獄にいるパウロ会会員は、戦う教会と、もはや勝利の教会に属している会員の助けを待ちのぞんでいるのです。彼らは、互いに、兄弟的な愛徳のつとめを果たすのです。

 戦う教会のパウロ会会員は、救いのしるしをもって永遠の世界に旅立った兄弟たちの模範を考え、すべての人のために祈り、至福な再会の日を待ちのぞんでいます……。

 人々の生命からもう一つの生命に移った人々を前にして、二つの反省をしましょう。すなわち、自分の召命に忠実な修道者は、その救い、むしろ、天国における特別な場所を得るという、もっとも確かなしるしを身におびるのです。しかし、それは、まだ、果たさなければならない有限の罰の負債がない、というのではありません。

 次に、新しい善を前にして、私たちは、自分のあやまちにより、神が死者のためにご計画なさっていた目的に到着できなかったのではないかと考え、反省しましょう。私たちは、模範と祈り、彼に対する熱誠をおろそかにしていたのです。したがって、私たちには、会憲と愛徳によってすすめられている以上の祈りをする厳密な義務が生じて来るのです。

 永遠の休みに移った人と、その生涯を勝利にかがやいて終った人は、この地上でまだ戦っている人々に、「終わりまでたえ忍ぶこと」が必要であることを思い起こせ、自分のところに引きよせるのです。

 この世に残った人々は、浄化の場所にとどまっている人々を、天国に入るようにする義務があります。

 愛徳は、すべての徳を含み、永遠に続く徳であります。

 パウロ会の生活の、この完全な広がりの中には、あらゆる協力者、特に、パウロ家族に少し彼らの血わけた人々(両親、親戚)、もしくは、その精神をわけ合った人々(主任司祭、聴罪司祭……)も入ります。

 主よ、永遠の休みを彼らに与えてください。

『信心のすすめ-自己の聖化と人々の救いのために』アルベリオーネ神父(サンパウロ・1974年)
※現代的に一部不適切と思われる表現がありますが、当時のオリジナリティーを尊重し発行時のまま掲載しております。

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