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福者ジャッカルド神父

列福とは何か――福者ジャッカルド神父(2)

 1989年(平成元年)10月22日、生前聖なる生活を送った一司祭が、ローマ、聖ペトロ大聖堂において、教皇ヨハネ・パウロ二世から列福された。この司祭こそ、マスコミによる宣教を使命とする聖パウロ修道会の初穂、ティモテオ・ジャッカルド神父である。教皇庁列聖省の認可による列福・列聖調査が開始されると、対象者は「神のしもべ」(Servus Dei)と呼ばれる。

 その人の「徳行の英雄性」(Heroicitas Virtutum)が公認されると、「尊者」(Venerabilis )となる。この尊者の取り次ぎによって一つの奇跡が公認されると、「福者」(Beatus)となり、さらに、この福者の取り次ぎでもう一つの奇跡が公認されると、「聖人」(Sanctus )となる。

 それで福者とは、カトリック教会の一故人が“存命中に信・望・愛ならびに懸命・正義・節制などの諸徳を英雄的に実践し、その死後には奇跡を取り次ぐほどの力がある”と、教皇から公認・宣言された偉大な人物のことである。列福宣言に至るまでには、当該当人物の生涯、未刊から既刊の著作物(つまり演説、書簡、日記、自伝など)、および自他の手で作成された全著作物の中に、信仰や良俗に反するものがあるかどうか、長年の調査が行われ、さらにその著作物から神のしもべの性格、徳行の習性、著作物の欠陥が抽出される。この第一段階の調査は、福者候補者(通称、神のしもべ)が生活または死亡した場所の司教によって行われる。ジャッカルド神父に関する列福手続きは、没後7年目の1955年6月8日に、ローマ教区裁判所で始められた。

 教皇ベネディクト十四世の教書『神のしもべの列福について』によれば、「徳行の英雄性」についての資格基準には次の三つがある。

 ①英雄的諸徳を容易に、機敏に、喜んで実行した一。
 ②人間的打算によらず、超自然的目的を持って行動した人。
 ③平凡なことを平凡でないかのように実践し、生活した人。

 以上が実証されれば、第二段階の使徒座手続き(Processus Apostolicus )が始まる。教皇庁(Curia Romana)には列聖省(Cogregatio de Causis Sanctorum)があり、列福に関する教会法上の手続きをも監督している。ここで以上の歴史福資格が再調査され、神のしもべの墓および遺体の調査が行われる。

 さらに列福には、神のしもべの死後、その代願によって生じた奇跡が一つ要求される。まず、奇跡を受けた本人や証人たちからの情報や資料があつめられ、奇跡の起こった教区の教区長のもとに関係者一同が集まり、査問調査が行われる。ちなみにティモテオ・ジャッカルド神父の場合、その取り次ぎによる奇跡が、 1954年(昭和29年)5月、埼玉県川口市にあった師イエズス修道女会のシスター・ルチアーナに起こったのでカトリック教会法典第2118条に基づき、 1988年2月、この奇跡の調査のために列聖省の調査官が来日した。その際には、当時の浦和教区長のもとに、シスター・ルチアーナの担当医であった木澤 和医師(星美学園短期大学教授)を含めた関係者一同が集められ、調査、審問が行われた。

 次に、この結果が列聖省の特別代表者会議に提出され、審議を経て、奇跡の評価が投票で決められる。さらに、この結果が同省の枢機卿委員会の審議に回され、最終的には、奇跡承認決定書への教皇の署名によって奇跡が公認され、公布される。

 ちなみに教皇ヨハネ・パウロ二世は、奇跡についてこう述べている。「奇跡は神だけができることです。奇跡は“神は愛である”というあかしのメッセージと見なされます。それらの奇跡は、必要な厳しい条件を満たして教会当局から承認されたときに、神のしもべの聖徳を確証する神の認印となります。同時に、神のしもべの取り次ぎを求める気持ちをかきたて、神のしもべに対する崇敬を正当化し、その生涯の教えを保証する神の神の認印となります」(『オッセルヴァトヘレ・ロマーノ』1988年11月20日参照)。

 言うまでもなく、ティモテオ・ジャッカルド神父の場合は以上の手続きがすべて完了し、教皇ヨハネ・パウロ二世によって1989年(平成元年)5月13日に奇跡が公認された。結局、シスター・ルチアーナの身の上に起こった奇跡が、尊者ティモテオ・ジャッカルド神父を福者に昇進させる決め手になったが、この詳しい経緯については、後で述べることにしよう。

・『マスコミの使徒 福者ジャッカルド神父』(池田敏雄著)1993年
※現代的に一部不適切と思われる表現がありますが、当時のオリジナリティーを尊重し掲載しております。

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