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最初の宣教師たち

韓国(「穏やかな朝」の国)で――日本と韓国の聖パウロ修道会最初の宣教師たち(53)

監修者注:「コリア」という名前は、「穏やかな朝」を意味する。それゆえ、コリア(韓国)は「穏やかな朝」の国という英語の呼称である。「穏やか」とは言っても、朝鮮半島は現在二つに分断されていて、北は共産主義体制の下にあり、事実上、宗教は完全に禁止され、一掃されている。南は「大韓民国」で、表面積九万八千平方キロメートル、人口約三五〇〇万人である。カトリック信者は一七〇万人で、その数は年々増加し続けている。首都のソウルは人口、八五〇万人である。カトリックは韓国人の間で、その豊かな文化と高い倫理性の故にたいへん好感を持たれている。「社会的コミュニケーションの手段」による使徒職を目指す者にとって、この国の「開かれた畑」は極めて広大であり、韓国の全カトリック教会が「パウロ家族」に対して大きな期待を寄せている。この章では、日本における聖パウロ修道会の創立という長く苦しい時を過ごしたパウロ・マルチェリーノ神父が、韓国で聖パウロ修道会を創立するまでの歩みを扱いたい。以下は、パウロ神父が宣教師としての最後のミッションとなったイタリア帰国の折に記した、「宣教報告」である。

創立に先立って

 イギリスとアイルランドでの二カ月の休暇は、自分の内面をよく識別するという願ってもない機会を私に与えてくれた。こうして私は韓国に聖パウロ修道会を創立する計画を心に描いて戻ってきた。一九三八年の初め、東京・王子の私たちの教会にローマからソウルに帰る二人の韓国人司祭が立ち寄った。彼らは私に会いに来て、私たちが東京で聖パウロ修道会の創立に奮闘していることをすでにローマで耳にしていた。そして「宣教の効果が一向に上がらない日本のことはもう諦めて、使徒職の前途が大いに有望な韓国に来るほうがよい」と、私を説得しに来たのである。彼らは韓国のカトリック信徒の数が今や、日本の信徒の八から一〇倍以上であること、日本におけるカトリック者は、総人口のわずか〇・二五パーセントにすぎないのに、韓国では二パーセント以上にも上ることを数字で示した。

 当然のことながら、私はあいまいな返事をすることができず、この日本で「最善を尽くす」ということをはっきりと彼らに伝えた。太平洋戦争の終結までの間、私たちが置かれていた状態はやむを得ないとは言え、いたずらに「むだ骨を折る」ようなものであった。やがて日本の降伏とともに韓国が独立し、私たちの計画を停止させ、すべての構想はいったん「引き出し」にしまわれることになった。今や、外的な諸状況が神の摂理的な意図を指し示しているように私には思われた。そこで私は東京大司教区を離れ、他の人たちが私に代わって会の使徒職を継続するのが最善だと考えた。
新しい宣教へと向かう上において、私は自分がまず完全に「自由」であること。そして最終的にはそれが多くの面において望ましいことであって、すべてはただ創立者アルベリオーネ神父の意向によるものだと考えていた。イギリスからローマに戻った私は、創立者にロンドンとアスロン(アイルランド)の正規巡察の報告を終えてのち、自分が抱いている計画を説明し、その許可を熱心に嘆願した。そして「私にとって越え難い未知の困難は存在しません」とまで言い切った。

 創立者の答えは、こうであった。

 「でも、おまえはもう年寄りだ! 六十歳で、新しい国で会の創立することに責任が持てるのか、またはあの国の近くで?」。

 そこで私は答えた。

 「健康状態についてなら、今、私は良い状態だと思っています。とにかく健康診断をしてもらうのが賢明かと思います。よろしければ、明日にでも検査してもらうことができます」。

 私としては、宣教に行くことが可能なのか不可能なのか、それを早く決めたいと思ったのである。現実問題として私は年を取っていて、このミッションの決定をぐずぐずと引き伸ばすことは私を若返らせはしないからだ。

 そこで私はアルバのエドワルド・ポッラ医師の所に健康診断を受けに行った。彼はアルベリオーネ神父の年来の友人であり、名声のある医師であり、 そして聖パウロ修道会のすばらしい協力者でもあった。健康診断の結果、私の健康は申し分なかった。

 医者は言った。

 「肝臓、心臓ともにしっかりしておる! たとえ韓国のような世界の端でも、今の君なら派遣できるだろう」。

 「でも先生、私が韓国に行くということを誰が先生に話したの!?」。

 「いや、誰も話していないよ。私が韓国と言ったのは、韓国がローマから一番遠い国だからさ。飛行機では一番近い国だとしてもね」。

 「それでは先生の診断を、アルベリオーネ神父に手紙で知らせてくれますか?」。

 私の韓国への派遣については今や、この医師の判断一つにかかっていたのである。

 「よろしい! よろしいとも! ところでいつ出発するの?」。

 「十二月の初めにはあちらに着いていたいと思います、せめて年内には」。

 「おめでとう、いや、本当におめでとう!」。

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